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あなたは誰を救えるか?〜ポップの精神〜

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いきなりだがここで問題。
人を救えるのは次の3つのうちどれでしょう?


1. 愛

2. 夢

3. 妥協











正解は3。
用例)

「俺将来お金持ちになりたいと思ってたけど、なんかもう別にいいや!」
→救われる

「私アイドルになるのが夢だったけど、なんかもう別にいいや!」
→救われる



**********************



要するに何が言いたいかと言うと、コンプレックスから脱却する唯一の方法は「妥協」であるということだ。
もっとも健全な形であらゆるコンプレックスから脱却するためには、

ちょうどいい所
真ん中辺り
折衷案
最大公約数

など、こういった落とし所を見つけることだとつくづく思う。

努力と怠惰の折衷案

早い話が「妥協」だ。
この「妥協」という言葉を悪い意味で捉える限りは苦しむままである。

為末大「努力すれば成功する、は間違っている」 「正論」なのに「炎上」してしまうのはなぜ


>「成功者が語る事は、結果を出した事に理由付けしているというのが半分ぐらいだと思う。アスリートもまずその体に生まれるかどうかが99%。そして選ばれた人たちが努力を語る。やればできると成功者は言うけれど、できる体に生まれる事が大前提」

>「がんばれ、より、よく頑張ったねもう十分だよ、の方が救われるステージがあると思うのです」

まさにそういうことである。
何が何でも努力を積み重ねて目標を達成する!という姿勢はある意味でコンプレックスの裏返しである。
なぜならば、自分はそれを達成しなければいけないというのは誰が強いるわけでもなく、勝手に自分自身が思い込んでいる強迫観念であるから。

スポーツ選手の前にあなたは一人の人間である。

学生の前にあなたは一人の人間である。


特に女子はこの「妥協」ってやつがなかなか出来ない性質である。

おひとり様の幸福論
2013/05/01 20:59社会


>そこで、女性たちの幸福を真剣に考えるまさに正真正銘のフェミニストと自負している私はこう言おう。


>女子アスリートなんか目指しちゃダメ!

>女子が高学歴を手に入れようとしちゃダメ!
>女子がバリバリ働こうなんてダメ!


これらの諸悪の根源は何かと言ったらやはり「男女差別コンプレックス」だろうね。
フェミニストは女が低く見られてたりすると異様に反発するわけ。
それこそ揚げ足取りみたいに色んな所から「これは男女差別だ!」ってネタをバンバン見つけてくる。
そっからだよ、女性の価値向上→男女同権→キャリアウーマン、女子アスリート、女子会、、、
それで自由になったのかい?



そりゃ行き過ぎた女性差別は問題だが、男性と同じ土俵に立ったところで誰も幸せにはなれない。
だったら「ちょうどいい所」で手を打つしかないだろう?
すべては幸せになるためである。
幸せの定義は人それぞれだが少なくとも男女平等になって幸せを感じる人などいまい。
男女は違う生き物、動物であり、それぞれ子孫の繁栄のために共生していかなければならない。

**********************

そう言えば、私は一浪して大学に入ったんだけど、その時に「大いなる妥協」が出来たことは本当に、私の18歳以降最大の成功だったとすら思っている。
周りには結構浪人した人いたけど、高校が進学校だったからかみんな自分のレベル以上の大学目指してたから。
どうせ浪人するなら良い大学行かなきゃ、みたいな。
で、大体そういう奴はその後何らかの形で苦しんでるね。
普通に二度目の受験も失敗して、そんなに頑張らなくても受かるような所に行ったり、もっと言えば現役で蹴った所より偏差値低い大学行くハメになったり。
うまくいって志望校合格しても大学入ったら色々とギャップを感じて留年しちゃったり。
あとは何らかの理由で心病んじゃったりね。

彼ら彼女らに足りなかったのは「妥協」することだったんだよ。
自分を救えなかったってわけだ。
どっかで気付かないと一生気付かない。
だってそもそも浪人する時点で多くの場合は妥協知らずなんだから(笑)
私は本当に気付けてよかった。
自分を救ったのである!

浪人してる間は、さすがに現状維持というか最低限の勉強はしてたけど、予備校なんて通ってなかったし、一日の平均勉強時間は5時間ぐらいか?
下手したらそれ以下だろう。
なんせグラフの曲線みたいにグッと学力上げようなんて思わなかった。
あくまで、ゆるやかな角度の直線でいいから、今よりマシならオールOK!という心持ちだった。
たまに友人と遊んだりもしてた。
ちょいちょいバイトもした。
あとは車の免許も取った。
それで一応偏差値60以上の学部に入ったわけである。
これこそ「努力と怠惰の折衷案」ということだ。

なにも自己満足するわけではなくて、人によっては私のこの結果に「勿体無い」と思う人もいるかもしれない。
「それでそんなに出来るんだったらもっと頑張って早慶目指せば良かったのに!」って。

ノーノーノー。

それこそまさに学歴コンプレックスだよ。
行ってどうなる?
早慶行ったら人生はバラ色か?
早慶行ったら就職安心か?
早慶行ったらモテるか?

「浪人するなら○○目指さなきゃ」ってのは強迫観念に囚われてる。
大体、一年間予備校に通ったら授業料いくらだ?
あんなしみったれた負け組の集まりの中で一年間も過ごして、一時的な受験のためだけの勉強をして、色んな欲望を自制して、果たしてそれに見合ったものが得られるとは到底思えない。
そりゃ東大・京大・一橋とかになったら話は別だよ。
その後の人生のルートを決めかねないからね。
でも今の御時世、早慶行ったってダメな奴はダメだ。
就活地獄で苦しむハメになってる人も多い。

基本的に学歴なんてのはよっぽどじゃない限り、現役合格で行って初めて儲けモンだから。
浪人した瞬間から経済的精神的時間的に色んなコストが生じてどんどん価値無くなるから。
結構、幾つになっても学歴コンプレックスから抜け出せない人って多いと思う。

*****************

受験だけじゃない、就活ってか年収も。
いっぱい稼ぎたいってのも分かるけど果たしてそれで満たされることはあるのか?というね。
年収800万あっても貧乏クジ引いたら貧乏ですから。


年収800万。生活が苦しいです。
みいな
2012年4月3日 18:13



成り上がり根性は足元すくわれることがあるので応援出来ないが、安定を求めるのは良いことだと思う。
安定ってつまり「妥協の産物」だから。
年収400万?


万々歳でしょ!!




婚活もその実態は酷いけど、「一生のパートナーだから妥協しない!」っていうスタンスの人ほど結局一生パートナーが見つからないんじゃないか?
既婚者も、お互いに色々と妥協してたらこれほど円満な夫婦は無いと思う。
妥協ってつまり許すってことだから。
許しってなんだかキリスト的でしょ?
まぁキリストは罪の「赦し」なんだけど・・・

このブログでは何度か「自分を救うのは自分しかいない」と書いているが、正確には2通りである。


・自分で自分を救う=妥協、覚悟、実践


・神に従い救ってもらう=宗教に入信


本当にこのどっちかだから。
だから私は、周りに宗教に入った(らしいも含め)人がチラホラいるが、それはそれで正しい選択だと思う。
そうでもしなかったら自分じゃ自分を救えずに死んでるだろう。

「よかったな、お前はお前自身を救えなかった。でもこれからは神様が見張っていてくださる。」

こんな風に感じるわけだ。
だから「神」の存在というのは有史以来最高の発明なのだよ。

てか実際、誰しもが少なからず神に従うことで救われる経験はしているはずだ。
例えば音楽とか芸術、尊敬する人の生き方などに感銘を受けて生きる希望を得たなんてのもある意味で「信仰」だからだ。
まぁ一時的なことが多いんだが。

******************

作家の村上龍はサザン桑田佳祐をベタ褒めしているが、その論拠は「人を救うから」としている。



1984年「無敵のサザンオールスターズ」より

>Sさんに生きていてサザンを聞いて貰いたかった。もし「東京シャッフル」をSさんが聞いたなら、死ななくてもすんだかも知れないと思う。桑田佳祐の、ビートを一途に信じる力、ビートに従う日本語を捜す才能、そんな人間が日本にも出てきたと知ったら、Sさんは希望をもてたかも知れない。
>歌は革命を起こせない。しかし、歌は、自殺を止める力を持っている。


なぜ桑田佳祐の音楽が人を救うのか?
これは表面上の音だけを聴いていては分からないと思う。
つまり桑田佳祐というのは桑田自身含め日本人を救った=妥協したミュージシャンだからである。
彼の存在が希望だったのである。

70年代に日本語ロック論争が巻き起こった。
西洋からの借り物であるロックに英語を乗せるべきか日本語を乗せるべきか。
これに終止符を打ったのが桑田佳祐の発明した「英語と日本語のミックス」である。
つまり「ちょうどいい所」「折衷案」だ。
「真ん中を取っていいんだ」「感性に正直でいいんだ」「何かに抗わなくていいんだ」
この発想が多くの人を救うのだと思う。

*******************

明治時代まで遡ると、開国と江戸幕府滅亡により西洋文化がドッと入って来てからは、日本人は必死で西洋文化の真似をしていた。
ビゴーの風刺画は非常に痛いところを突いている。



鹿鳴館

>西欧諸国の外交官もうわべでは連夜の舞踏会を楽しみながら、その書面や日記などにはこうした日本人を「滑稽」などと記して嘲笑していた。

また戦後のアメリカからの支配においても西洋コンプレックスが存在した。

アメリカナイゼーション

>テレビではアメリカ製の映画やテレビドラマが放送され、国民をアメリカ文化に馴染ませる政策がとられた(特に、ホームドラマにおける「頼りになって何でも話せる格好いい父親、優しい美人の母親」の存在は、従来の日本型家庭である「厳父慈母」のイメージとは正反対であった)

>21世紀に入って、ジョージ・W・ブッシュは対日占領(=親米保守・対米従属化)を「最も成功した占領」と呼んだ。

ただ今度の日本はアメリカから入ってくる文化をうまく吸収したという面もある。
特に自動車産業なんかは本国アメリカをぶっちぎってしまったし。

******************

我々は日本人である以上、ロックは西洋からの借り物でしかない。
ビートルズはロックではなくポップである。
彼らのポップの根幹は「気持ち良いこと」つまり快楽だ。
自分達が面白いと思うもの、やっていて聴いていて楽しいものを正直に。
これこそがポップである。
料理で言うと、カレーを作る時、本場であるインド風に近づけようとすればするほどポップとは遠ざかっていく。
ラーメンを作るとき、ルーツである中華に傾倒すればするほどポップからは遠ざかっていく。
ホンモノらしさより、食べて美味しいものを信じる力。
ゆえに子供から大人まで純粋に美味しいと思える料理こそポップだ。
それこそカレーとかラーメンね。
本気、本格、本場、というのはストイックで見上げたもんだが実は誰かを切り捨てることなのである。
洋楽に詳しくなればなるほどJ-POPの実態に落胆し、日本の音楽はショボいだの、そのギャップに苦しむことだろう。
それではダメだ。せっかく音楽に詳しくなったのに救われない。
洋楽に詳しくなったら、いかにして邦楽に戻って来れるかが鍵なのである。ソウルやブルースなど様々なジャンルに触れたならば、ポップミュージシャンがポップをやっていること自体をまず評価しなければならない。
大衆を相手にしていることは崇高なのである。
映画も小説も同じだ。
桑田佳祐は洋楽の真似事をする時は必ずと言っていいほど自虐的に「なんちゃって○○」のような「ギャグ」にまで落とし込んでいる。
この姿勢こそがポップであり心地良い妥協、つまり救いなのだ。
そんなに肩肘張っても楽しくないよ、と。
その証拠に、「いとしのエリー」が大ヒットした後、サザンはスタジオ籠城しロックミュージックを追求するも、その時にリリースした楽曲はとことん売れず、低迷期となる。
そこから再びシーンに戻ってきたのは「チャコの海岸物語」つまり、テレビで、真面目に、「ギャグ」をやったからである。
のちに全曲英語で作ったKUWATA BANDの「NIPPON NO ROCK BAND」も失敗だったと反省している。
これは日本語ロック論争で決着がついていた課題を再び考証しようとしたからである。
サザンを休止し身軽になった桑田は洋楽コンプレックスという古傷にまんまと陥ってしまったのだ。
このように、過去の失敗から桑田は「結局ポップが強い」ということを身を持って知っているのである。
「昔みたいにやってくれ」「あの頃が最高だった」なんて言うファンは桑田を苦しめるだけのサディストである。
桑田は自分をも救ったのだから。


********************

仕事術2013年 11月 12日 16:01 JST
アメリカンドリームは消えたのか?―貧乏世帯からの立身出世は困難


>無一文から大金持ちになった米国人は全体のわずか4%しかいない

>最下位層で育った人の中で大卒の資格を持っているのはわずか7%だ。

アメリカンドリームを叶える必要は無い。
大金持ちになる必要なんてどこにもない。
大卒は幸福を保証しない。
貧困層からの脱却を夢見る、もしくはそれを美徳とする人は、格差社会の共犯者である。
なぜなら貧困層からの脱却は貧困層が存在し続ける前提だからである。
ここでも「妥協」という概念さえあれば救われる人は多いと思う。
アメリカンドリームというのは過去の神話であり今となっては呪縛だ。
アメリカンドリームが消えるも何も、もともと誰もにチャンスが与えられているわけではない。

**********************

「妥協」とはコンプレックスつまり自らにかけた呪縛を解く起死回生の魔法である。
勿論、何でもかんでも最初から妥協しろとは言わない。
ただ、もし何かに行き詰まっているのなら、妥協することは何ら「負け」ではない。
それは自分を救うことだからである。
自分を救えない人間は一生苦しむ。
ジョン・レノン曰く、

>No one you can save that can't be saved.

(「All You Need Is Love」より)

救えない人なんて救えやしない。
なぜなら救ってやれるのは自分だけだから。
他人に妥協を強いることは出来ないし他人を神の道に引きずり込むことも出来ない。
だから言い換えるならばこうだ。

You can be saved only by yourself.

コンプレックスの無い人間などいない。
皆、それぞれの呪縛を抱えながら生きている。
その呪縛を解けるのは妥協=ポップの精神である。



終わり

レコードプレイヤー DENON DP-790

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明らかにレベルが抜きん出ていたMICROのプレーヤーを売り払い、しばらくはソニーのPS-LX350Hに戻していたが、やはりレベルダウンも甚だしく不幸なことに満足出来なくなってしまった。
う〜ん、やっぱり所々の安っぽさね。
キャビネットもアーム周辺のパーツもプラスチックだし。
てかアームが黒塗りなのはかなりダサいということに気付いた。

かと言って「チープな良さ」があるかと言えば、ぶっちゃけ無い。
60年代〜70年代の映画を見てるとたまにすごい安っぽいレコードプレーヤーが出てくるが、あそこまでチープではないという所が逆にダサいのである。
名機テクニクスのSL-1200に似せたが、コストダウンとソニーの変なプライドが見え見えで耐えられなくなった。

で、ここは一発、値段・作り共に満足=妥協出来るものを買おうと決意した。
条件は

・ダイレクトドライブ
・木製キャビネット
・金属製アーム
・美品

そしてヤフオクをチェックしていたところ良い感じのものがあったので少し競った後に落札。
DENONのDP-790。



DENONのDPシリーズでは廉価版に位置するが、上記の条件をしっかり満たしている。
今日セットしてスティーヴィー「キー・オブ・ライフ」のUKオリジナル盤を聴いてみたが良好。
振り返れば3台目となるレコードプレーヤーだが、これでやっと満足できる妥協に辿り着いたと思う。

レコードプレーヤー自体は基本的には音質にあまり影響しない。
影響するのはスタイラス(針)だろう。
音質改善を求めるならアンプやスピーカーにこだわった方が効率的というか合理的だ。
レコードプレーヤーは見た目と安定感のみ。
このDENONのDP-790は私の願望と今の自分のオーディオシステムのレベルに見合った最高の妥協である。

てか、アンプとCDプレーヤーとレコードプレーヤーがすべてDENONということに今気が付いた。
この際スピーカーもDENONにしようかな・・・

CDプレーヤー DENON UCD-F88

アンプの購入 その2


終わり

長嶋茂雄とポール・マッカートニー

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前々から思っていたことを少し書きたいと思う。
ミスタープロ野球・長嶋茂雄って今77歳だけど、かなりガタイ良い。





さすが元スーパースターだけあって年老いても体はしっかりしている。
日本人って体型的にスーツスタイルは圧倒的に不利なんだけど、長嶋の、上背は当然の事ながら、あの胸囲と肩幅によって見事な着こなしになっていると思う。
少なくともこれ77歳の身体とは思えない。
同じことが今来日中のポール・マッカートニーにも言えて、



彼もまたマッチョの部類に入ると思う。
他のビートルズメンバーと比べて体格の良さは抜きん出ていたから。
ただでさえベース弾きながら歌うのは大変なのに、あの驚異的な声量と音域はやっぱり天性の賜物=生まれつきの体格なんだと思う。
肩幅があるし、ヒップも大きい。
何かの写真で、ポールが上裸で自分の腹の肉を掴んでるやつがあったんだけど、それを見て思った。

「こいつは強ぇや」

って。
(※11.21追記 画像これです)



現在71歳だがまだまだ衰える気配は無い。
何しろ世界中を飛び回って毎回30曲ぐらい原曲キーで歌いまくっちゃうんだから。

長嶋も、2004年の脳梗塞が無かったら今でもグラウンドでノックぐらい余裕で出来たと思う。
何年かぶりにセコムのCMに出ているがあれもあれで凄いっちゃ凄い。
普通の人なら歩けないだろうから。

やっぱりいつまで経ってもカッコいい男はマッチョだね。
体格ってのは重要な要素だ。
今時のヒョロイ若者なんて年取ったら目も当てられんだろう。


終わり

ポール・マッカートニーに逢った夜

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今日ポールの来日公演に行って来た。
これは人生で一度きりの経験だと思っている。
もう今日の体験だけで私の人生は上々だと思ってしまうぐらいの。
今更こんな事言うのも気が引けるが、ポール・マッカートニーという人物はポピュラー音楽の







であり、1960年代のスターが世紀を超えて2013年今でも現役で世界を飛び回り、この極東の地で単独公演をしてくれることがすでに



奇跡



であり、それを目の当たりに出来るのは非常に幸運なことだからである。
これがもし1年ズレて来年だったとしたらとてもじゃないが参戦出来なかったから。
彼の年齢を考えると次にまた日本に来てくれるのは難しい、つまりこれが最後の来日公演になるかもしれない。
親が特に熱心な洋楽ファンでもない平成生まれの私が「自分の興味で」ビートルズに目覚め、十代に必死でビートルズを追いかけ「自分の意思で」ライブに行きたいと思い、二十代になって「自分のお金」でポールのライブに行けるなんて経験、これが最初で最後だろう。
いや本当、平成世代がポールの来日公演に参加するって、「間に合った!!」って感じだから。
自分で生んだワンチャンスを確実にゴールに押し込んだ感があるね(笑)


ステージに立っていたのは紛れもなくあのポールであり、ビートルズ解散後の数々の修羅場や葛藤をくぐり抜けた末に辿り着いた「エンターテイメント」という結論を示しているようだった。
やっぱり人を幸せにするパワーを持っているね。
だって基本的に全曲シングアロングだから。
所作もいちいちカッコいいし、愛嬌があるし。
もうね、「ロックを武器にしたアイドル」なんだよ。

ビートルズに最初に傾倒した時は特にポールとかジョンとか区別してなかった。ポールを一人のミュージシャンとして初めて意識したのはウィングスからだった。それだけに、今日のライブはウィングスナンバーがやたら泣けた。
特に「バンド・オン・ザ・ラン」はノリノリで歌いながらも涙が出そうだった。

あと、とにかく声量がハンパなかった。
昨日もやってて二日連続なのにシャウトとかファルセットがバリバリだから。
どういう声帯してんだ?!って、本当につくづく思う。
桑田がこの前ラジオで「残念ながらポールの歌を歌える日本人はいません」って言ってたけど本当その通りだと確信した。
あんなの超人の成せる業だ。


いやとにかく、凄い体験をしたよ。


終わり

M-1951 フィールドジャケット

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冬は決まってモッズパーカーを愛用しているが、今年買ったのはこちら。



これはM-1951と言ってアメリカ陸軍のフィールドジャケットである。
1963年コントラクトの正真正銘ヴィンテージだ。

近年、ってか随分前からだが、王道のM-51は「踊る大捜査線」で青島が着用したことで「青島コート」という汚名を授かってしまった。
これはモッズとしては人権侵害にあたる屈辱。
ということでM-51は着れなくなってしまったので、どうにか捻ったものを探していたのである。

M-1951は一応「フィールドジャケット」という名目で、取り外し出来るライナーは無いが二重構造で、かなり厚手で十分アウターとして着れる。
少なくとも中国製のライナー付きレプリカよりよっぽど暖かいから。
サイズは「ロング・スモール」つまりコートとして最適だ。
また、胸ポケットがあることを考えるとドイツ軍のミリタリーコートに似ているが、襟が付いているというのはスロベニア軍の物にも似ている。
ともかくファッション的にオイシイとこ取りなのである。
フードは取り外し可能なM-1943用のものが付いている。

で、このフィールドジャケットはエルヴィス・プレスリーが着ていたのでそれっぽくワッペンも取り付けてみたというわけ。



欲を言えばSPEARHEADのワッペンも付けたかったんだが。


終わり

ネクタイ・コレクション

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ある時期から私はネクタイを集めることにハマった。
おそらく大学2年ぐらいからだろう。
バイト柄、スーツを着用しなければならなかったので、必然的にネクタイを締めなければいけなかったんだけど、


ネクタイを締めるその瞬間に自分が男であることを自覚する


のである。
一時期は私服でもネクタイを締めていた。(今でもたまに)
好きな柄はペイズリーという、普通の人からしたら変態的な趣味だとは思うが、そこがまた快感だったのである。
いつの間にかネクタイはどんどん数を増やしていき、現在こんな感じである。





ご覧の通り山盛り。
合計30本ぐらいはある。
何故丸めて保管するかと言うと、ぶら下げると引っ掛ける位置に折り皺が出来るから。
ここまで数が増えると、一本一本次に使うまでにかなりスパンが空く。
となると、必然的に皺が出来やすくなってしまうのだ。
とは言え、数が増えすぎてこんな山盛りにしてるようじゃそれこそ皺が出来やすいんだが。。

ブランド品はあまり持たない主義の私だが、ネクタイだけはブランド物ばかりである。

手前に映っている青いペイズリーはヘンリーコットンズ社、イタリア製。
生地が最高でかなり気に入っている一本だ。
左側の黒地に黄ドットはイヴ・サンローランの日本企画。
モッズスーツとの相性が良い。
その下にある黄緑のペイズリーはポールスミス。
ネクタイを集め出した初期に買ったもので、滅多に締めないが、それなりの時に締めようとは思う。(祝い事とか?無いか!)
上の方、ちょい奥にあるエンジ色のストライプ柄はダンヒルである。
他にもヒューゴ・ボスやバーバリー、ミラ・ショーンなど。

ブランド物とは言っても、中古で買ったものがほとんど。
平均したら一本あたりの購入価格は1000円前後じゃないだろうか?
だが来年からの仕事上、この先ネクタイを締める機会はほとんど無くなるだろう。



終わり

2013年11月 映画

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○ピーター・コリンソン「ミニミニ大作戦」(1969年、イギリス)

マイケル・ケイン主演。
ヨーロッパの車、ってか何よりイギリス好きにはたまらない一本。
1969年だからモッズは完全に終わってる頃なんだけど、とにかくスタイリッシュで何から何までカッコいい。
ケインのスーツスタイルは世界最高レベルだと思うし、赤白青のMK-1や冒頭のミウラ、フィアット500やジャガーなど数々らの名車が堪能できる。
あと個人的には、会議室のブームスタンド型の間接照明や、チャーリーとローナの部屋の雰囲気など小道具がいちいち素晴らしかった。
音楽はクインシー・ジョーンズが担当。
最後の終わり方もひねくれてる。
名案って何なんだろう?



○ハロルド・ライミス「悪いことしましョ!」(2000年、アメリカ)

これはミスった。
「ミニミニ大作戦」に引き続き60sイギリス映画の縛りで本当は1967年のオリジナルの方を観たかったんだけど、なんとリメイクの方を借りてしまった。
てかオリジナルの方はTSUTAYAでは扱ってなさそうだ。。

内容は、これオリジナルがどうなのか分からないので何とも言えないんだが、これぞアメリカ映画と言うべき、ギャグ満載だけど最後はイイ話みたいな王道。
「結局は現実を受け入れる」という落とし所はよくあるタイムスリップ物と同じ。
ベタベタな展開だが90分で終わるというのがスマートで良かった。
生まれ変わった主人公の新たな人生は大抵カフェテラスから見守るものである。


○パスクァーレ・フェスタ・カンパニーレ「女性上位時代」(1967年、イタリア)

これは正直、アントニオーニ「欲望」以来の衝撃。
未亡人となった女性が生前の夫の変態的な性癖を知ったことにより自らの性をも解放するという話。
一応コメディ映画ということだが、その内容はある意味で予言的であった。

>あなたが私を誘ったんじゃない、私があなたを誘ったの。

つまる所、性の行使決定権を女性が持ち始めたわけだ。
建前つまり抑圧による作られた「性」が解放され、暴走し始め、もはや「正常な性愛」など存在しないことが明らかになってしまった。
そこでネックになってくるのが「結婚」という制度である。

>貞淑な妻になんてなれないわ!

主人公は自らの不埒さや「ある秘密」から、最後まで結婚するのを躊躇っていた。
しかしそれにも屈しない博士の覚悟と寛容さによってなんとか結ばれたわけだが、その成れの果ては余りにも皮肉で屈辱的なものであった。

60s全開の衣装や小道具、音楽などはハイセンス極まりない。
セクシーショットも満載でその意味でも満足度は高い。
今まで見た映画の中でもこれはトップテンに入る。


○クリストファー・フランク「サロメの季節」(1984年、フランス)

オスカー・ワイルド「サロメ」が原作。
偶然にも「ニューシネマパラダイス」で中年のサルヴァトーレ役を演じたジャック・ペランがまた見れたので妙に嬉しかった(この作品は「ニューシネマパラダイス」よりも前)。
"サロメ"こと18歳クリスの「大人に対する不信と挑発」、母クロードの欲望と自制の葛藤、さらにはロマンの発する、クリスが立ち入れない"大人の"色気が絡み合う。
大人への失望と大人になりたい欲求が混在する微妙な年頃のクリスは女の武器を行使しまくるが、その身体の美しいこと。
これ以上ないという段階の女性の美しさを、包み隠さずに克明に、大胆に映している。
クリス役のヴァレリー・カプリスキーはスタイル抜群だし本当に端麗な顔付きで可愛い。
舞台、南仏コートダジュールも素晴らしい絵である。
ラストの方、クリスの涙を浮かべながらの怒りに満ちた踊りは鬼気迫るものがあったような気がする。
ともかく目の保養としては最高の映画ではないだろうか?


○フランソワ・トリュフォー「夜霧の恋人たち」(1968年、フランス)

私が愛してやまない映画監督の一人、フランソワ・トリュフォー。
1968年、アントワーヌ・ドワネルの冒険シリーズ第三弾。
ジャン=ピエール・レオーとクロード・ジャドのコンビ。
次作「家庭」でもこのコンビは引き継がれるが、自分の中ではこの二人のコンビネーションは安定感抜群なのである。
男の弱さと女の強かさが描かれているように思う。
ドワネルもクリスティーヌも結局お互いしかいないという関係だった。
ドワネルは、娼婦を買ったりクライアントの夫人と恋に落ちてしまったりしたが、最終的にはクリスティーヌの鞘に収まった。
クリスティーヌも一度は別れを告げつつも、最後はテレビをわざと故障させるという意地を見せた。
夫人も夫人で、ネクタイを贈りドワネルからお礼の汽船便をもらうと、ドワネルの部屋まで押しかけしっかり"ケジメ"を付けているからやっぱり強い女だ。
何度も言うが、面白い映画は必ずと言っていいほど「女の意地」が描かれている。
最後の方で、ラスクを食べながら筆談するシーンはまさしく次作「家庭」への布石のような気がしてとても良い。


○新藤兼人「悪党」(1965年、東宝)

巨匠・新藤兼人が脚本監督。
原作は谷崎潤一郎。
南北朝時代、足利尊氏の執事として権威を振るった高師直のお話。
いや〜素晴らしい。
これは高師直の話なのか、塩冶判官高貞と顔世の話なのか。
あるいは侍従の話なのか。
何度も言うが「女の意地」がメインというか話のキモだ。

>百万の軍勢で攻めようとも、人の魂はとれませぬな。

女の意地って、貞操とはちょっと違うんだと思う。
顔世は高貞への愛を貫いたがその先には死が待っていた。
そう考えれば高潔かもしれない。
しかし、彼女自身が一時の恥を受け入れればすべて丸く収まったはずが、二人の愛を貫いたために一族は滅亡。
こう考えると愛は人を救わないということになる。
色々と検索かけてたらこのような文章を発見した。

http://home.f05.itscom.net/kota2/jmov/2005_01/050105.html

>むしろ自らを辱めることを徹底的に固辞して亭主もろとも家まで潰した顔世のほうが悪党というか悪女であったと言えるのかも。そして狂言回しの役どころでありながら、最後に自ら犠牲にならない範囲で改心した侍女こそが結果的に一番の悪党だったような気がします。

本当にその通りだと思う。
原作はともかく、少なくともこの映画は高師直の物語ではなかった。
侍従と顔世の物語であると私には見えた。
終盤はホラー的な要素もあって久々に映画でゾッとした。


○マイケル・パウエル、エメリック・プレスバーガー「赤い靴」(1948年、イギリス)

いやぁ〜前半退屈なんだけど、これはお見事。
舞台での「赤い靴」とヴィクトリアの人間としての物語がシンクロしていく。
最後の誰もいないスポットライトは鳥肌が立った。
初演のシーンでも思ったんだけど、カメラとステージの近さというか、逆転がちょいちょいあるんだよね。
スコセッシがお気に入りだと言うのもよく分かる。
これは間違いなく「映画作品」として傑作。
素晴らしい。


○ロジェ・ヴァディム「獲物の分け前」(1966年、フランス)

デジタルリマスター版を見たんだが、ここまで綺麗だとは。
とても60年代の作品とは思えない。
一瞬目を疑ったよね。
ジェーン・フォンダの美貌もさることながら、マクシムの紺のモッズスーツは激カッコいい。
ラウンドカラーのシャツとナロータイとの相性は抜群だ。
まぁマクシム役のピーター・マッケナリーの顔とスタイルがメチャメチャ良いことが大前提なんだが・・・
BGMはインド風でシタールがフィーチャーされていた。
1966年だからちょうど英国ではジョージ・ハリスンがインド音楽に目覚めた頃だね。

内容はまぁドロドロした愛憎劇というかね、後半はかなり悲惨な展開だった。
ルネの嫉妬がこれまた凄いんだ。
アンヌに対抗して髪バッサリ切っちゃうし。
すべてに絶望したルネは最後頭おかしくなっちゃう。
これ、お話的には北野武の「Dolls」と似ている。
あれも菅野美穂の役が結婚間近の彼氏に裏切られて自殺未遂して頭おかしくなっちゃう話だから。
政略結婚ってのはホント悲惨だね。
とにかく60s全開、スタイリッシュでセクシーだけど、内容がヘビーな一本だった。


○オムニバス「世にも怪奇な物語」(1967年、フランス/イタリア)

三本の短編からなるオムニバス作品なんだが、あり得ないぐらい豪華な顔ぶれ。
とはいえ私には面白さがまったく分からなかった次第であります。
60年代のホラーってこんなだったんだ・・・みたいな。

監督は一本目が、前年に「獲物の分け前」を撮ったロジェ・ヴァディム。
主演はジェーン・フォンダとこれまた同じ。
彼はジェーン・ フォンダともブリジット・バルドーとも結婚してるから凄い。
内容はまぁ、何と言うかね。。

二本目はベネチア映画祭常連の巨匠ルイ・マルが監督で、主演はジェーン・フォンダの弟ピーター・フォンダ。
ブリジット・バルドーも出演している。
自分と同姓同名の男が現れてから、人生の歯車が狂い出し破滅へ向かう。
私的にはこの二本目が一番面白かった。

三本目は神、フェデリコ・フェリーニ監督。
アル中で頭おかしくなったスターの苦悩、退廃的なカオス状態を上手く描いている、いかにもフェリーニらしい作品だ。
フェラーリでの疾走シーンは迫力があった。
が、これやるならもっと長尺でやんなきゃダメなんじゃないのか?と思ってしまった。
混沌としてるんだけど、尺が短いから急ぎ足感も感じてしまう。


○ルイス・ブニュエル「昼顔」(1967年、フランス/イタリア)

美しい。
何が美しいってカトリーヌ・ドヌーヴ。
当時24歳とは思えない色気、気品と凛々しさ。
逆に24歳だからこそだろうね。
一番中途半端な、否、"絶妙"な年齢だと思った。
それでいて難しい。
何が難しいって、やはりラストの解釈。
ハッピーエンドでいいのか?
いや違う。
そんなはずは無い。
確かにピエールは起き上がった。
だがさっきまで動けなかった人とは思えないほど普通に動き始めた。
馬車の音がする。
馬車には誰も乗ってない。
う〜ん。。。


○オムニバス「Jam Films」(2002年、セガ/アミューズ)


一本目、北村龍平監督「the messenger -弔いは夜の果てで-」
特に感想なし。
まぁ、低予算というのもあるだろうがこれじゃ印象に残りようがないね。

二本目、篠原哲雄監督「けん玉」
山崎まさよしと篠原涼子が出演。
タイトルバックの入るタイミング、ボサノヴァ風のBGM、軽快なテンポで進む物語・・・
センスが滲み出ているね。
オチもバッチリ決まってて、これは良いショートムービーだと思いますよ、えぇ、純粋に。

三本目、飯田譲治監督「コールドスリープ」
ある意味で予言的な作品。
このブログで何回も書いてきたことがテーマだから。
ひたすらシュール。

四本目、望月六郎監督「Pandora -Hong Kong Leg-」
やっぱり足を舐められると女性は感じるんだろうか?
もうこれしか考えられなかった一本である。
すいません。

五本目、堤幸彦監督「HIJIKI」
まぁ流石だわな。
捻りまくり。
この世界観は後の園子温に近いね。
彼はもっとシリアスなんだけど。


六本目、行定勲監督「JUSTICE」
まさにジャスティス。
後の松本人志みたいな世界観。
素晴らしいよ。
ポツダム宣言、パラパラ漫画、赤青緑の正の字カウント、クソ真面目な生徒、どれもが絶妙。
教室の後ろの「努力」の習字はシュール極まりなかった。
妻夫木の役の名前が「東條」というのも最高のギャグである。
それにしても綾瀬はるか!!
ありがとうございます!!!
どうもすみません!!!

最後は岩井俊二監督「ARITA」
広末涼子が出演している。
ナレーション、話し方がすでに可愛い。
ARITAに火を付けちゃった時のカットが長すぎやしないか?
写真とナレーションだけでどんどん進んで行くのは面白いと思った。
ふと思ったのが、能年玲奈がこの頃の広末にすごく似てる。


終わり

フランス軍 M64パーカー

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もう一着ミリタリーパーカーを。



これはフランス軍のM64。
ボアライナーが付いていてかなり暖かい。
真冬でもワイシャツの上にこれで十分な気がする。
モッズパーカーでは米軍やドイツ軍が定番で、フランス軍は二番手、三番手的な存在だが、このシンプルなデザインがなかなか良いのである。
大きめのボタンも気に入っている。
こちらはワッペンなど飾りは何も付けないで着ている。

現在流通しているデッドストックは真ん中にマジックテープみたいなのが付いているが、私のはもっと昔に流通していたもので付いてない。
そのためかなりシンプルに見える。
サイズも現在流通しているのは92Cがほとんどで、普通体型の人にはかなり大きめになってしまうが、私のは86Cで丁度良い。(と言ってもパーカーなのでダボっと着る前提だが)

*********

ファッションにおいて、ミリタリーというのは理にかなっている。
ミリタリー物の利点は、

・機能性/実用性がある
・安い
・作りがしっかりしている
・カッコ良い

ファッションに「実用性」という要素を加味すると、ミリタリーやスポーツウェアが強い。
なんたって、軍人やスポーツマンなどそもそもファッション性を重視してない人が着るものだから。
私からすれば服は車と同じで、実用性や機能性を重視した結果ルックスもカッコ良くなった、というのが理想のカッコ良さである。
VWビートルの丸みも、空気抵抗と室内スペースの確保などを考慮した結果あのデザインになったわけだし。
モッズからの影響は非常に強いが、実は理詰めで考えると私がミリタリー好きなのはそういう所から来ている。
てかモッズでなくてもファッションに理解がある人なら誰もが通るのではないか?
ジョン・レノンは別にモッズではなかったがミリタリールックが好きだったことは有名だ。
またミリタリーはスポーツウェアと違ってほとんどは中古のため、よほどヴィンテージやレアな物じゃない限り安く手に入る。
そして実際に戦地で着用する前提だから縫製もしっかりしているし、余計な装飾が無いから壊れたり破れたりしない。
壊れてもすぐ直せる。
軍物だから多少汚れても全然違和感が無い。
モッズパーカーはスーツの上に羽織っても良し、カジュアルでも良し、とマルチである。
ワッペンやバッジを付けてカスタムも出来る。

というわけで冬はこのフレンチアーミーM64とこの前書いた米軍M1951を取っ替え引っ換え、ひたすらモッズパーカーを着ている。



終わり



新・3大「ソウル・バスのクールすぎるタイトルバック」

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その1。
1958年、アルフレッド・ヒッチコック監督「めまい」



その2。
1959年、アルフレッド・ヒッチコック監督「北北西に進路を取れ」



その3。
1960年、ルイス・マイルストーン監督「オーシャンと十一人の仲間」







終わり

VRM BoxでPCオーディオ

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PCで音楽やら映画を鑑賞する時に使用しているのがFocusrite社の「VRM Box」というヘッドフォンアンプ。
かれこれ3年くらい愛用している。



ヘッドフォンはソニーの定番モニターヘッドフォン「MDR-CD900ST」。



で、VRM Boxはどこが売りかと言うと、様々なスピーカーの音をサンプリングしてあり、ヘッドフォンを使って「スピーカー鳴り」を再現できることである。





実名こそ出ていないが、有名メーカーの名作スピーカーをサンプリングしてある。
しかもスタジオ用、リビングでのリスニング用、さらに寝室用ごとに何種類も。
これで大音量で聴けば擬似オーディオルームが出来上がりである。
iTunesのイコライザーで低音をちょっと持ち上げればそれこそクラブとかライブハウスみたいになる。

また、映画を見るときはかなり重宝する。
本当にシアターで観ているような錯覚に陥るからである。

これとヘッドフォンさえあればPCオーディオライフを満喫できるはず!
(宣伝っぽい?)

フォーカスライト Focusrite USBヘッドホンアンプ VRM Box

SONY MONITOR HEADPHONES MDR-CD900ST

終わり

ウィンターソング特集10選

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今回の10選は「ウィンターソング」。
前回のソウルミュージックに引き続き独断と偏見で。

まずはこちら。

ポール・マッカートニー「Wonderful Christmastime」(1979年)



これは外せないでしょう。
ディレイをかませたシンセサイザーが最大の特徴。
シンプルなアレンジと分かりやすいメロディーでノックアウト。
意外とジョンの「ハッピークリスマス」より好きって人は多いのではないだろうか?

Back to the Eggクリエーター情報なしEMI Europe Generic


スティーヴィー・ワンダー「From A Bottom Of My Heart」(2005年)




現在auのCMではスティーヴィーの「Someday At Christmas」(1967年)が流れているが、私としては2005年のこっち。
なんたって別に冬とかクリスマスを歌ってるわけじゃないのがまた良い。
でもどう考えてもコード進行やシンセの音色、ベルなどはウィンターソング。
冬の夜のドライブのイメージ。

A Time 2 Loveクリエーター情報なしMotown


ダニー・ハザウェイ「This Christmas」(1971年)



ニューソウル繋がりでダニーのこの曲も。
実際彼の歌声はクリスマスソングにはピッタリだと思っている。
ブラスとウーリッツァーが気分を高揚させてくれる。
クリスマスソングとしては結構マイナーだが、私はこれがもっともっと色んな所で使われるべきだと思うね。

Donny Hathawayクリエーター情報なしElektra / Wea


ナット・キング・コール「Walkin' My Baby Back Home」(1951年)



お次はジャズから。
1930年に書かれたスタンダード・ナンバー。
ナッキンコールのバージョンがやはり一番好きである。
これもまたウィンターソングってわけではないんだが何故だか無性にクリスマス感に襲われるのは私だけだろうか?

GOLDクリエーター情報なしCapitol


桑田佳祐「白い恋人達」(2001年)




日本のクリスマスソングと言うとまぁ山下達郎のアレになるんだろうが、曲自体は断然こっちの方が完成度は高いと思うね。
穿った見方をすると、山下達郎の「クリスマスイブ」がここまで人気なのは、CMとの相乗効果で当時の社会というか世の中の空気までをもパッケージングしたことが大きいのだと思う。
それはそれで「音楽の力」というのを思い知るんだけど。
桑田のこの曲は「波乗りジョニー」と同年リリースで、同じ年の夏と冬にそれぞれミリオンシングルを生んでしまったという奇跡的な一年だ。
間奏のコード進行やエンディングの構成など見事。

I LOVE YOU -now & forever-クリエーター情報なしビクターエンタテインメント


森高千里「だいて」(1989年)



半音階やクリシェを使った、J-POPウィンターソングのお手本とも言うべきポップス。
Bメロ「こんなにそばにいて〜」からの2小節だけドラムパターンが"ドッタタ、ドッタ"に変わるのが素晴らしい。
リッケンバッカーのサウンドも良いね。

ザ・シングルス(通常盤)クリエーター情報なしワーナーミュージック・ジャパン


シンバルズ「Love Thing」(2002年)



やっぱりあれだ、私にはビッグバンド編成というのが"冬"感への影響大らしい。
これはシンバルズのラストシングルだけあってもはやバンドの体裁を成していない。
なんたってメンバー(沖井と矢野)が参加してないんだから。
でも皮肉なことにこれはこれで素晴らしい楽曲。
その後の土岐麻子のソロ=ジャズ路線への布石となっている。

Love Youクリエーター情報なしビクターエンタテインメント


ケミストリー「My Gift to You」(2002年)



これは私の同世代だったら絶対に外せない一曲だろう。
2002年ケミストリー絶頂期に放ったウィンターソング。
今聴いても当時にタイムスリップできるまさに思い出の一曲だね。
堂珍のファルセットの美しいこと。
大サビの後(3番サビ前)のピアノの泣きのフレーズが最高だったなぁ。
これも桑田の「白い恋人達」と同じで、エンディングで初出のセクション("Woo〜愛してる")が出てくるのが素晴らしい。

Second to Noneクリエーター情報なしDefSTAR RECORDS


クレイジーケンバンド「クリスマスなんて大嫌い!!なんちゃって」(2002年)



これもまた小学生の時にCMでバンバン流れてたね。
CKBってこの当時は結構商業的だったんだなぁと今になって思う。
思いっきり「クリスマスソングあるある」をぶち込んだ曲を作ってやろう!っていう感じのまさに超ド真ん中だけど、こういう曲やるのにも勇気が要るもんだと思うよ。
女性ボーカルとユニゾンっていうアイディアはお見事だね。

クレイジーケンバンド・ベスト 亀クリエーター情報なしA-hi Records


ワム!「Last Christmas」(1984年)



こればっかりはしょうがない(笑)
何度も反芻してみたけどやっぱりこれなんだよ。
80sとそれ以外の年代のクリスマスソングで決定的に違うのはクリスマスというものに対する俗物根性と言うか、テンションだよね。
80年代は失恋ソングにも「勢い」があるんだよ。
だからそういう意味で80sってのは音楽の中でも特に"産業"度の高いクリスマスソング市場の盛り上がりはピークだったと思う。
この先、少なくとも日本だけでも、何年も歌い継がれるようなクリスマスソングは生まれないと思う。
何故って、"クリスマスソング枠"がすでに満席な事に加え、クリスマスという行事そのものに往時のパワーが無いと思うからである。

例えばアンケートで「クリスマスに恋人が欲しい」と「クリスマスなんて無ければいい」とでは、どっちの方が数が多いだろうね?

まぁその辺は過去に何度も書いてきたんで、ここでは割愛しましょう。

Final: 25th Anniversary Editionクリエーター情報なしSony Import



それでは、良いクリスマスを!!
(皮肉!)



終わり

『最高の離婚』SPで復活!!

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瑛太主演『最高の離婚』SPで復活 来年2月放送


何でもかんでも続編を作る/望む風潮には嫌気がさしているんだが、こればっかりは妥当だろう。
このブログで激賞しておいて良かった。

ドラマ「最高の離婚」 視聴者は現実を受け止められるか
2013/01/12 03:29ドラマ


>このドラマは見る前から面白いことは分かっていた。

>リアリティのある脚本・台詞と、それを本当にリアルに表現する瑛太。
>絶妙のタッグだと私は思う。

ミスチル桜井とドラマ「最高の離婚」
2013/02/15 11:57音楽


>坂元裕二は男女の価値観をしっかり分かってる脚本家

特に上記のミスチル桜井和寿と結び付けた記事はこのブログでもアクセス数が多い。
テレビ局関係者がこのブログを読んだのかは不明だが、こうしてネットにアップしておくと、思わぬところで過去と未来が繋がるから面白い。
確かに「最高の離婚」は民放のドラマでは今年ナンバーワンのクオリティーであった。
驚異的な視聴率をたたき出したTBSの「半沢直樹」よりも、ドラマのクオリティーは上だと私は思っている。
何より「最高の離婚」は書き下ろしだったからその点も評価すべきだろう。

今年は結構ドラマを見ていた方で、日テレ「Woman」に関してもいくつか記事をアップした。
今年のドラマと言えばあともう一つ、そう「あまちゃん」だ。
本当は「あまちゃん」についてもまとまった記事を書こうと思っていたんだが、タイミングを失ってそれっきり。
「シューカツ崩壊」の記事でチラッと話題には上げたんだけど。

シューカツ崩壊 Part 4
2013/10/03 19:29就活


あと今年はテレ東の「まほろ駅前番外地」と「みんな!エスパーだよ!」もチェックしていたが、これまた記事にするタイミングを逃した。

このブログのサブタイトルにもあるように「良いと思ったものは必ず良い」というのはあながち間違いではないのだな、と一人溜飲を下げる。


とにかく、色々と苦戦を強いられているフジテレビは今回ナイス判断だろう。
半沢とかと比べたら数字は負けるが「最高の離婚」は十分自信持っていいぐらいのハイクオリティーだ。
2月のスペシャル放送に先駆けて、年明けからの夕方再放送、期待しています!!




最高の離婚 DVD-BOXクリエーター情報なしポニーキャニオン

Yin Yang/涙をぶっとばせ!!/おいしい秘密(通常盤)クリエーター情報なしビクターエンタテインメント



終わり

M-1951 Field Jacketのカスタム

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前回紹介したM-1951フィールドジャケットだが、米軍仕様から一転、ここ2か月ぐらいモッズ仕様へとイメチェンに励んでいた。
そして完成したのがこちら。



モッズと言えばワッペンにバッジ。
ワッペンは陸軍"U.S. ARMY"の胸章と軍曹の肩章を引っぺがし、ブリティッシュテイストの物を縫い付けた。
で、またこれが難しい。
何が難しいって、そのワッペンやバッジの配色や数、位置などの総合的なバランス。
色んなワッペンを買って付けては剥がしを繰り返して辿り着いたのが今の形である。
だから2か月もかかったってわけ。
非常に地味で面倒くさい作業だった。



右胸には缶バッジとピンズ。
ターゲットマークやチェッカーフラッグ、ユニオンジャックなど。
"TRUFFAUT"と書かれたグリーンのピンズは映画監督フランソワ・トリュフォーへの敬愛を込めて。



右肩のワッペンは"Irish Sea"と書かれているので恐らくアイルランド海軍のエンブレムだろう。
自分でもよく分からないが、程よく上品なデザインと"Irish"の単語で決めた。
ちなみに同じデザインのバッジが胸にも着いている。



左肩にはイギリスのバイクブランド「トライアンフ」のロゴ。
肩に付けるワッペンは、モッズならばユニオンジャックかターゲットマークかチェッカーフラッグ辺りが定番だが、赤や青が入って来ちゃうとちょっとポップ過ぎちゃうんで、チェッカー柄をチョイスした。
この左肩のワッペンを何にするか、また何枚付けるかに相当苦労した。
結局1枚という結論に至ったが正解だったと思う。
なんせM1951フィールドジャケットはそもそもモッズパーカーとしては正統派ではないからね。

だがこうして見ると、小さいユニオンジャックなら追加しても良いかも・・・。
まぁ細かいアジャストは追々。
とりあえずモッズ仕様のミリタリーアウターが完成したので良かった。


終わり

「恋するフォーチュンクッキー 」徹底批評 〜2013年を彩る3曲〜

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2013年も残りわずかとなった。
今年の日本を彩る楽曲と言えば三曲あって、まずはドラマ「あまちゃん」のテーマ曲。



連続テレビ小説「あまちゃん」オリジナル・サウンドトラックTVサントラビクターエンタテインメント

これはオープニングなどで主に使用されたインスト曲だが、もちろん「潮騒のメモリー」や「暦の上ではディセンバー」などの曲も付随し、ドラマに関する音楽の総体がやはり2013年を彩ったと思う。

そして次は、5年ぶりの復活を遂げたサザンオールスターズの「ピースとハイライト」。



ピースとハイライト(通常盤)クリエーター情報なしビクターエンタテインメント株式会社

歌詞は隣国との関係を憂いつつ郷土愛を呼びかける内容となっており、リリース後は何かと話題となった。
タバコの銘柄と掛けて「平和=ピース」と「お互いの良い所=ハイライト」というタイトルは相変わらずナイスであった。
ちなみにサザンの曲にしてみれば政治ネタというのは今に始まったことではなく、80年代後半〜90年代はもっと辛辣な曲はいっぱいあった。
カップリングの「栄光の男」は国民栄誉賞を受賞したミスタープロ野球・長嶋茂雄をモチーフに書いた曲であり、これもまた今年を彩る出来事として大いにリンクしている。
それにしても今回の復活劇はメディアや国民を賑わせ、復活を発表した6月25日には号外が配られたぐらいだから、やはりサザンというグループはまだまだパワーを持っているんだな、と実感。
「あまちゃん」が国民的ドラマなら、サザンは正真正銘の「国民的バンド」だろう。

************************

そしてもう一曲は何かと言えば、やっぱりこれであることを認めざるを得ない。



恋するフォーチュンクッキーType A(通常盤)(多売特典なし)クリエーター情報なしキングレコード

そう、AKB48の「恋するフォーチュンクッキー」だ。
この曲は例のごとくバンバン色んな所で流れまくってたんだが、そのことを抜きにしても一発で耳に残るメロディーだ。
私もいつかの記事で引き合いに出した。

モーニング娘。再考 前編
2013-08-13 02:07:25 | アイドル


>AKBの楽曲は何のクオリティが低いかって、やっぱりヴォーカルとしか言いようが無い。

>曲は悪くない。
>ただやっぱり「やっつけ仕事」だよね。
>メロが良いんだからアレンジだってもっともっと捻って欲しいし、何よりヴォーカルが面白みに欠ける。
>フェイクなんて一切無いからね。
>そのせいで全体的に「良く出来たデモ」程度のクオリティにしかならず、盛り上がりも無く終始低空飛行。
>曲の賞味期限は異様に短い。
>こんな良いメロディーだったら十年後も聴きたいって言うぐらいのクオリティに仕上げないと勿体無い。

そう、この「恋するフォーチュンクッキー」は曲の素材=メロディーとしては最高の一品。
そしてアレンジも方向性としては間違ってない。
ディスコ風80sアイドル歌謡のノリだから。
特にBメロ、"カフェテリア流れるミュージック〜"の所は非常に良い。
キーがグッと上がるし、リズムもここから四つ打ちに変わりグイグイとサビに向かって進んでいく。
ここがハイライトと言ってもいいだろう。
作曲は伊藤心太郎氏。

>60〜80年代の西洋音楽に造詣が深い。深い音楽史の知識、若者のトレンドを半歩先取りしたテクニカルでマニアックな曲作りに定評がある。

やはりどう考えてもこれは歌謡曲もそうだしブラックミュージックを聴いてきた人が書くメロディーだ。
80年代のアイドル歌謡はリアルタイムだっただろうし、遡るようにモータウンとかスタックス、A&Mとか聴いてきたんだろう。

アレンジャーは武藤星児氏。
エレピ、ハンドクラップ、パーカッションは及第点。
ゴリゴリとしたストリングスは適度にイナタく仕上がっている。
ファンキーなワウをかませたエレキギターもグルーヴ感に一役かっている。

と、ここまで良い所を書いてきたが、だからこそ目立ってしまう残念な部分もある。
まずコーラスというかヴォーカル。
字ハモ以外のコーラス(Woo〜など)はAKB本人達にやらせた方が絶対に良い。
音楽の中での一体感が生まれるから。
そしてフェイクをもっと入れた方が良い。
この曲はフェイクがまったく入っていない。
これはメンバーが多いことの弊害であってこの曲に限った話ではないのだが、音楽の中でメンバーが見えて来ないのである。
センターを勝ち取った指原、そして不動の人気を誇る大島、渡辺、板野、篠田などの一人ひとりの「存在」が音楽の中に無い。
これは没個性という話にもなってくるのだが、音程が悪いとか声質がどうとか、そういうのはアイドルグループとして歌っている以上当たり前のことだ。
そもそもオーディションでは一人一人の個性を見てメンバー入りさせているのに、その個性を音楽の中で出していこうとしないのが私には理解できない。

例えば昔のモーニング娘だったら、申し訳ないが石川梨華のソロ部分は非常に不安定で心配だったがソロ部分はちゃんとあった。
SMAPも同じで、もはや「ダミ声」の域に達しそうな中居にだってちゃんとソロパートがある。
だがそれは良く悪くも「存在感」ということであって、ジャニーズもつんく♂のプロデュース方法もそれを最優先にしていると思う。
当時散々イジられたが、「抱いてHOLD ON ME!」での飯田の "ねぇ笑って" や、「恋のダンスサイト」での矢口の "セクシービーム"、そして「恋愛レボリューション21」での石川の "ホイッ" など、やはりセンターじゃなかったりメインパートが無いメンバーに対しても、曲の中で何かしらのスポットを与えていた。
ただでさえメンバーが多かったモー娘。の楽曲にはこういった細かいフェイク部分が無限にある。
更につんく♂は曲ごとにメンバーそれぞれの声質などを鑑みてコーラスパートを振り分けていた。
こういった作業は必然的に、レコーディングにとてつもない時間と労力がかかることを意味する。
だがそれを惜しまないのがプロなのではないだろうか?
そういう意味で、AKBは「音楽」を捨てたのだと私は思う。
曲が悪いとか歌が上手い下手とか、そういうのとは別の次元の話だ。
「恋するフォーチュンクッキー」だって、フェイクや合いの手を入れられる所は沢山ある。
"人生捨てたもんじゃないよね"のアタマに"Fuu〜"というコーラスがあるが、そういうのがもっと欲しい。
フェイクというのは言うなれば、メロ譜(スコア)に無い音である。
メロ譜にある音つまりメロディーが素晴らしいからこそ、挑戦的にメロ譜に載ってない音をどんどん足していけるのではないか。
いくらフェイクを入れまくったって曲がダメだったらどうあがいてもダメなんだから。

あとは同じユニゾンでも、パンニング(左右に振り分けること)など個を出していく方法は色々ある。
そういった、面倒くさいけど「ひと工夫」が圧倒的に不足している。
逆に言えば、それさえ厭わなければ、楽曲の素材のクオリティーはかなり高いのだから、本当に10年後も歌われるような名曲になったはずだ。
まぁそれもこれも実際に10年後になってみないと分からないが。。

秋元康は「企画や人のプロデュース」は一流だが、それと「音楽の中の演出」を結び付けられないのだと思う。
とんねるずの場合はとんねるず自身が音楽の中でも「自分」を出していったからこそあのクオリティーになったという。
秋元康という絶対的なプロデューサーがいる手前、さすがにアレンジャーもなかなか口を出せないのだろうか。

あとはアレンジ面で言うと、何より右chのシンセブラスがいただけない。
なぜ生ではなくシンセブラスにしたのか、腑に落ちない。
一気に安っぽくなってしまったではないか!
しかもそのシンセパートは弾きすぎ、鳴らしすぎで「空白を埋めること」が目的に見えてしまう。
思うにこのアレンジャーはブラスアレンジがあまり得意ではなかったのではないだろうか?
私はこの曲に関しては管弦編曲(ブラスが変わると弦のアレンジも変えざるを得ない)を別で専門のプロに任せた方が良かったと思う。
アレンジャーである武藤氏は多くのAKB周辺の楽曲に携わっているようだが、秋元康が彼にアレンジの全権を託しているからなのか、ローコストで抑えるために外部から管弦の編曲家を起用しないのか、理由はよく分からないが、この辺がどうも楽曲のクオリティーの足を引っ張っているひとつの要因だと思う。
あのサザンやミスチルですら管弦の編曲を外部に発注することがあるのに。
武藤氏は初期木村カエラの「happiness!!」で売れたそうだが、やはり基本的にはバンドサウンドの人なんだと思う。

後出し的に言えば、さらにタンバリンやグロッケン、キハーダなど、アクセントとなる楽器がもっと入っていたら良かった。
個人的にはホイッスルを入れるとかどうだろう。
また、主旋律に対するカウンターメロディーが全然無いのも痛い。
カウンターメロディーが良いと主旋律は大いに引き立つからである。
その辺からも、アレンジャーが編曲専門であって「作曲が出来る人」ではないことが分かる。

とにかくアレンジャーはもっと「この曲はずっと歌い継がれるかもしれない」という意識を持って攻めて、細部に渡るまで徹底して欲しかったところだ。
秋元康の歌詞は言わずもがな、安定のクオリティーだと思う。

と、ここまでダメな所を散々書いてきたが、それでも今年のJ-POPでは屈指の楽曲だったことは否めない。
それはやはり、メロディーが素晴らしいからである。
これならミリオンヒットを記録しても文句は付けられない。
久々に「本当に良い曲」がミリオンヒットしたと思う。

山崎あおい「夏海」 ベタ復権へ!!
2013-08-16 21:43:07 | 音楽


>まだあったんだそのライン!

>既聴感たっぷりで何処にでも落ちてそうだが奇跡的に誰にも拾われなかった類のメロディーだろう。
>でもこういうのを「珠玉のメロディー」って言うんだよ。
>良いメロディーってのは掘り出した原石ではなくて、その辺に落っこちてる宝石なんだから。

>展開もAメロ→Bメロ→サビというお決まりのパターン。

>で、こういう「ベタ」さこそが、今のJ-POPに欠けているものだと思う。

>まずあそこまで継ぎ接ぎ感のない一筆書きのメロディーラインが書けるか、そしてキャッチーな「イントロサビ」を作れるか、さらに打ち込みに頼ることなくあのアレンジが出来るか。
>非常に難しい。

>ミスチルの「イノセントワールド」を作るつもりで曲を書け

>YUIの「CHE.R.RY」を作るつもりで曲を書け

>「最高のベタ」を目指して欲しい。

この記事は8月16日寄稿、一方シングル「恋するフォーチュンクッキー」は8月21日リリースなので、この記事はギリギリだが先んじていたということになる。
そう、AKBの「恋するフォーチュンクッキー」は良質のベタだったわけだ。
ベタで結構。
ベタを妥協しない。
奇をてらうことよりもベタを極める方が難しい。
玉置浩二が数年前の「TV BROS.」誌のインタビューで「ポップスが一番難しい」ということを言っていたがその通りである。

*******************

というわけで、今回は「恋するフォーチュンクッキー」についてメインに書いたが、気付いてみれば、

あまちゃん=NHK朝ドラ→国民的ドラマ
ピースとハイライト=サザン→国民的バンド
恋するフォーチュンクッキー=AKB48→国民的アイドル

と、3つの「国民的」が2013年の日本を彩ったのであった。



終わり

ミスチルと音質

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ミスチル公式チャンネルのとあるミュージックビデオを見てみたら驚愕。





メチャクチャ音良いじゃん!!!!

実際以前もこの動画見たことあると思うんだが全然気付かなかった。
たまたま今回はいつもよりYouTubeの音量を上げて(95%ぐらい)聴いたら、いや参ったねこれは。
ミスチルファン歴はそこそこ長いけど音質で感動したのは初めて。
しかも中学生の時にリアルタイムで何回、否、何百回も聴いてた曲。
今自分のiTunesで192kbpsの同曲音源と比較したけど、全然YouTubeの方が音良い。
仮にレコード会社が320kbpsでUPしたとして、その圧縮の差こそあれ、今や全世界で無数のユーザーを抱える無料動画サイトがこの高音質ってのはちょっとにわかに信じ難い。

まずドラム、特にスネアとハイハットの生々しさ、バスドラムのドスッとした迫力。
右ch、桜井の弾くアコギの鳴り。
ストリングス、ヴィオラ(もしくはチェロ?)のふくよかな木の鳴りとバイオリンのスリリングな響き。
ヴォーカルは基本的にダブルトラックだがこんなに近く感じるとは。

余談だけどサビのアタマをよく聴くと、コードがGではなくてGM7なんだよね。
トニック(?)コードはここまでずっとGで来てるのに、サビでいきなりGM7とは流石、小林武史。
メロディーもGの音を通るので桜井本人も曲を作った時はメジャーセブンスなんて想定していなかったと思う。
コードの妙で言うならば「名もなき詩」も凝っていて、トニックコードはGではなくG6である。
ゆずやコブクロなどミスチルっぽい音楽をやるグループは沢山あるが、こういう所で決定的な差が出るね。
彼らにはこんな芸当は絶対に出来ない。

話を戻すがミスチルの曲、特にシングル曲は楽器編成が混み入ってて音数が多いので、こういった「Sign」のようなシンプルなアレンジの楽曲だとそれぞれの楽器の音が引き立つ。
やっぱりミスチルの曲は、

ピアノ

ストリングス

アコースティックギター

エレキギター

ベース

ドラム

これが必要十分条件だから。
パーカッションを除いてこれ以上要素が増えると音質はグッと落ちると考えて良い。
むしろミスチルの魅力自体も劣るとすら思う。

じゃあ他の曲はどうか?聴いてみたけど、









確かに各楽器がクッキリ、明瞭に聴こえるという点では高音質だ。
でも「Sign」のようにそれぞれの楽器の「鳴り」とか「生々しさ」までは感じない。
「youthful days」や「Any」なんかは全然ダメだね。
あとはとても良いのはこれ。



「くるみ」もまたさっきの条件に基本的には合致しているので、やはり素晴らしい音。
やっぱりドラムなんだよな〜。
ドラムの、特に金物の「ナマ感」が凄く伝わってくるしアコギの箱鳴りも然りだ。
ちなみにこの曲、カスタネットの使い方が超絶お見事。(タッタカ タッタカ・・・)



割と古くなるが「花」もシンプルなアレンジ故に音質はかなり良い。
アルバム「深海」持ってたけどこんな音良かったっけ?

「Sign」の動画にはポジティブなコメントが何十件も寄せられているが誰も音質に関して言及していないのは何故だろう?

ミスチルと音質ってのは意外と語られていないと思う。
確かに、初期は決して音が良くなかったと記憶している。



これなんてシングルは200万枚超の大ヒットを記録したんだけどドラムが打ち込みでかなり残念な一曲。
アルバム「ボレロ」収録時にドラムだけ生に差し替えられ、それ以降タイトルが「〜(Remix)」表記となっていることはファンの間では有名だろう。
オフィシャルには上がってないが実際「innocent world」だって全然音良くなかった気がする。
その印象はアルバムで言うところの「ボレロ」まで変わらない。
なんでこんなチープな音なんだ?って中学時分の私は思っていた。
今となってはミスチルのCDはほとんど手元に無いので確認のしようが無い。
しかしこれだけ過去にヒットを飛ばしておいて、それらのリマスター盤が出るって話はいまだに無い。
去年出たベストアルバム(買ってない)は全曲リマスタリング処理が施されたそうだが、そもそもが2001年以降からの選曲なのでそこまで飛躍的な改善はないだろう。
YouTubeの公式チャンネルも、

「なぜこの曲がアップされてるのにこの曲は無いんだ?」

と疑問に思うことは多々あり。
そこで私はふと思ったのだが、

公式チャンネルにアップされている初期の曲は、実はリマスター的な処理をしてるんじゃないか?

リマスターというのは実はかなり時間も労力もかかる作業だ。
ともすれば、1998〜2000年ぐらいまでの楽曲を公式チャンネルにアップする際、リマスターとまではいかなくても何らかの「お色直し」的な作業が完了次第アップしてるんじゃないか?と密かに思う。
それかもしくは、何らかの理由があって、あえて小出しにしているか。
だって「Tomorrow〜」があるのに「Everything(It's You)」や「シーソーゲーム」が無いのは不思議だし、「ニシエヒガシエ」「光の射す方へ」ときて「終わりなき旅」が無いのも不思議だ。
「名もなき詩」だってミュージックビデオこそ作られなかったが、確か販促用の、ひたすら歌詞が流れるだけの映像があったはずだ。
仮に、特にヒットした曲を避けているのならば今度は逆に「Tomorrow〜」をアップした意図が分からない。

う〜ん・・・

もしかしたら近い将来、過去のオリジナルアルバム(「Q」まで)のリマスター盤発売とかになるのではないか?

実際私はこの線を、去年の20周年の時に予想していたんだが、あっけなくベストアルバム発売という展開になってしまった。
でも、仮に近い将来リマスター盤が出るならば、別に特別な"何周年"とかでもないのにいきなりってのは意味不明だ。。

YouTubeの公式チャンネルの、それも「Sign」の音の良さに感動するあまり、ここまで根も葉も無い憶測を書いてしまった・・・


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終わり

巨人の新ユニフォーム 花文字復活

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【巨人】日本一奪還へブルー新ユニホーム


>胸のロゴは、創設から70年間使用してきた花文字に戻した。袖には、通算22回の日本一を表現する大小2個ずつの星が入った。ビジター用は、1961年から32シーズン使用したさわやかなブルーを採用した。

巨人のユニフォームは確か2000年代前半ぐらい、アディダスがスポンサーになってから一気にダサくなった覚えがあるんだが、ついに「あの頃」のデザインに戻った。
そう、「花文字」というあのフォントはかなり伝統あるデザインで、これこそがジャイアンツ。
一時期は本当に酷かったんだけど、今回のデザインはもう巨人ファンとしてはたまらないね。
私が小学校高学年〜中学ぐらいの時に花文字じゃなくなったんだが、ちょうどそのタイミングでだんだん巨人自体にもあまり興味が無くなっていった。
まぁ勿論ユニフォームだけが原因じゃないんだけど。
そう、松井がヤンキース移籍して清原もいなくなったからね。
あの辺でやっぱり巨人はひとつの時代が終わったんだと思う。

記事で原監督が言うように、

>巨人軍の歴史は、そのまま日本プロ野球の歴史と言っても過言ではありません。パイオニアとして伝統を引き受け、これからも戦っていきます。

その通り。
巨人=プロ野球。
だから長嶋茂雄はミスタージャイアンツでありそのままミスタープロ野球なのだ。

巨人がこういう、風格と言うか威厳のあるユニフォームに身を纏うと、ちょっとプロ野球界全体が引き締まって見えるような気がする。
とは言え、今や巨人以外でも、パ・リーグにも次々にスターが現れて、球界全体のムードは一時期よりは遥かに底上げされたように思う。
まぁだからこそ巨人という一つのチームに対する情熱も冷めつつあるんだけど。
もはや私の巨人愛は、高橋由伸がどこまでやれるか、この一点のみである。


終わり

姿勢 'attitude'の話 〜楽しくなければテレビじゃない〜

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<私の恩人>板東英二、上岡さんに教えられた「アマチュアでいなさい」


> 何より、上岡さんに教えられたのが「あんたはプロでは大成功とは言えないかもしれないけど、甲子園の準優勝ピッチャーとしてみんなが知ってくれている。あんたの代名詞とも言える高校野球に、なぜ人が熱中するのか。それは一生懸命さと大きな声があるから。技術ならプロの方がずっと上やのに、人を感動させるのはそこ。あんたはプロになったらアカン。一生懸命さと大きな声を持って、アマチュアでいなさい」ということでした。

流石、上岡龍太郎。
この人はもはや「お笑い芸人」を超越していた。
下線を引いた箇所はその後のAKB48を予言していたかのよう。
この発言は70年代だが先見の明は相当なもんだ。
何しろ秋元康本人がAKBを甲子園球児に例えることが多いから。

実際の話AKBは事務所と契約し、レコード会社からCD出したりしている時点で外面は「プロ」だが、前述の内容はその中身、つまりアティテュードの部分である。
高校野球は人気に衰えは無い。
体罰問題や試合のルール、私立高の戦力重視の入学制度など、高校野球だってプロ野球ばりにツッコミ所は多々ある。
しかしなぜ人気に衰えが無いかと言うとそれは彼らがアマチュアだから。
まさにこれから熱くなる高校サッカーも同じだ。
私はこういう「高校○○」みたいなのは苦手なんで一切見ないが、人気の理由は理解している。
要は「見届けたい」とか「見守りたい」というのが基本スタンスだ。
プロ野球はエンターテイメントだが、高校野球はドキュメンタリーである。
ドキュメンタリーの出演者、つまり高校生たち、は観客を喜ばそうなんて思っていないし、そんな義務は無い。

ただ勝ちたい、という。

見る人はその純粋さ、勝ちたいという姿勢つまりアティテュードを楽しみたいわけだ。
ぶっちゃけ女子サッカーだって高校野球と同じ視点だと思う。
これをアイドル界に持ち込んだのが秋元康つまりAKB48ってわけだ。
彼女たちは永遠にアマチュアであることが望まれるが、ここで超重要なのは、アマチュアであることは「プロになろうとすること」が大前提であるということだ。
もしAKBのアイドルたちが「どうせ私達アマチュアだから・・・」という姿勢を取ったらどうなるか?
おそらく一気にファンはいなくなるだろう。
恋愛禁止というのはこのルールに則ってるから必要なのである。

EXILEとか、あとはジャニーズもそうだが、男性アイドルはどちらかと言うとプロ野球的つまりエンターテイメント(見世物性)を重視したアティテュードだ。
韓流アイドルもこれにあたるだろう。
それに対してAKB48やももクロは高校野球、すなわちドキュメンタリーを重視したアティテュードということである。

そうそう、アマチュアと言えば・・・

<猪瀬都知事>辞職表明、「政治家としてアマチュアだった」

アマチュアは常にプロを目指さねばならない。
その点で猪瀬はアマチュアすら失格ということだ。

ここで気掛かりなのは、ここ数年この「アマチュアの姿勢」しか世間ではウケなくなってきているのではないか?ということだ。
まぁ元々日本人の性格上、こういったものがウケるのは今に始まったことではないんだが、何かこう、ドキュメンタリー(事実)ではなくエンターテイメント(演出)に対する受容体が無くなってきている気がするのは私だけだろうか?

何かあるとすぐに「ヤラセだ」と。
こんな事言うのも今更だがヤラセと演出は違う。
テレビ界ではバラエティー番組がどんどん萎縮していってる一方、ドラマやドキュメンタリー番組は人気が右肩上がりだ。
ドラマなんてのは虚構=演出の最たるものだが、ドキュメンタリーだって編集してテレビに映ってしまえば虚構である。
てかテレビなんてのは所詮はすべて虚構である。
報道番組だって、何をどう伝えるかで丸っきり印象を変えることが出来る。
NHKのニュース番組見るのとテレ朝の「報道ステーション」見るのでは全然違うから。
それなのに、同じ虚構でも何故バラエティーがことごとくダメなのか?

ありのままの事実はつまらない。
例えば最近だと猪瀬都知事の辞任のニュースでは、ただ「辞任した」という事実だけを報じるのでは面白くない。
多くの報道番組は彼のこれまでの作家としての業績や東京五輪招致などの経歴、つまり「人物の背景」を映している。
(私はこの間の都議会での「カバン事件」は、かの船場吉兆の記者会見に匹敵すると思う)

楽しくなければテレビじゃない―80年代フジテレビの冒険クリエーター情報なしフジテレビ出版

松本人志、猪瀬都知事「カバン芸」を評価 「今年の面白かったベスト10に入る」





こういうのを見ると、報道番組も結局は「テレビ」なんだと実感する。

あと、スポーツニュースなんかも演出は顕著だ。
いつ試合があるとか、誰が勝った負けたという事実だけではなく、その背景を映す。
よくあるのが「亡き祖父に捧げる1勝」とかね。
別にすべてが嘘だとは言わないが、こういうのも意図的な、事実の「演出」である。
こんなのテレビの基本中の基本だが、どんな番組でも演出があるから面白いのである。
ひらたく言えば、「嘘っぱち」だから面白い。
だが視聴者は嘘が大嫌いである。
騙されるのが嫌で嫌でたまらない。

なぜ相次ぐ食品偽装? 背景に4つの理由
ホントが知りたい食の安全 有路昌彦


>4つ目はその最大の理由です。それは消費者側がそのものをよく知らない、ということです。食品の産地や原材料の偽装は今始まったことではなく、むしろ過去の方が多く行われていた可能性があります。消費者がそもそも識別できないので、偽装してもバレない、という状況になりやすいのです。

私はこの見解は違うと思う。
最大の理由はここではないか?

>また消費者が、味とは関係なくてもプレミアムを感じることも原因の1つでしょう。品質に差がなかったとしても、生産者の努力やストーリー性といったところに価値を感じることもあるでしょう。

これこそドキュメンタリーでしょ?
日本人は見かけよりも裏側=背景が大好きなので、「プレミアム」というのは人の興味を惹くためには最高の要素だ。
で、食品偽装で騙されてる消費者なんてみんなその「プレミアム」に騙されたんでしょ?
これって視点を変えれば、ドキュメンタリー番組を見て異常に感化されちゃうのと同じだろう。
これまた言うまでもなくドキュメンタリー番組はあれがすべて事実というわけでは無い。
当然、出演者に使っちゃダメだと言われた素材は使えないし、撮っちゃダメだと言われた部分は撮れない。
そもそも何に密着するかは意図的に決めることだし、また取材対象者はカメラがあることを事前に知っている。
そう言った状況でひとつの番組として仕上げるわけだから、これはもはやノンフィクションと言えるのかどうか?

下手したら、例えばトップモデルの密着取材で「このストレッチは体型維持のために毎日やってるんですよ」と言っても本当はやってないかもしれない。
朝5時に起床してランニングに出かけ「やっぱりフレッシュな空気は早朝しかないと思いますから。一日の始まりとして、身体を目覚めさせるんです」とか言って本当はその日だけ無理して早起きしたのかもしれない。
かと言って、じゃあ本当になんてことない日常を撮るとしても、ただ単にダラダラしてるだけだったらこれまた超つまんないだろう。

まぁこんな事を言い出したらどうしようもないんだが・・・。
だからこそ、そういった「もしかしたら嘘」の部分には誰だって目をつぶるはず。
目をつぶるまではいかなくとも、過大な信用は置かない。
何故なら、疑い続けるのは苦痛で、全然楽しくないから。

ありのままの事実はつまらない。
疑い続けてもつまらない。

だったら楽しんだもん勝ちだろう、と開き直れば別に食品に騙されることなんて無いと思うね。
だってそういう人はそもそも「プレミアム」に対する金なんて払わないから。

国産だと信じて食べる。
美味い。
実は中国産でした。
でも美味かった!!

これ、別にどこも悪くないと思う。
これで手のひら返すような奴は自己欺瞞もいいとこだね。
そっちの方がよっぽど偽装だよ。

ドキュメンタリー番組ってのはそれはそれで面白いし、私もNHK「プロフェッショナル」とかフジテレビ「ザ・ノンフィクション」とかを好きで見るけど、すべてを鵜呑みにはしていない。
NHK「プロフェッショナル」なんて、もう誰に密着しても引き出される言葉は大体同じだから。

なんでドキュメンタリーを楽しめるかって、

鵜呑みにしないけど、拒絶もしない。
嘘があるなら、その嘘も楽しもうじゃないか!

上手に騙してくれ!!

つまりこれは、ドキュメンタリーすらもエンターテイメントの枠組みに入れるスタンスである。
前半部分ではドキュメンタリーとエンターテイメントは相対するものとして書いたが、実はエンターテイメントの中にドキュメンタリーがあるのであって、決して対立するものではないというのが私の考えだ。

テレビ局(それもスタジオや副調整室)や制作会社とか入ったことある人は割とこういうスタンスとれるのかな、と思う。
ドラマもバラエティーも報道もドキュメンタリーも「この空間ですべては作られているんだ」と分かるから。
我々が画面越しに見ている映像はすべて手がつけられているものだ。
そこでまったく純粋な「事実」を求めたところで無意味だし、むしろ騙されて悲しむだけだろう。
80〜90年代、バラエティー番組が盛り上がっていた時代は、もちろん偉大な芸人たち(ビッグ3、ダウンタウン、とんねるず、ウンナンなど)の才能による所もあるが、今みたいに情報過多ではなかったからみんなが何の疑いも無く大いに騙されていたんだと思う。
そして彼らの影響を受けた下の世代が今のバラエティーを引っ張っている。(ナイナイ、くりぃむ、ネプチューン、ロンブー、有吉など)

だが、ネットの普及でここまで情報が溢れてしまい、騙されることが大嫌いな人々が意図的な「演出」を避けるようになったんだと思う。

ノンスタ井上 坂上忍に弁明も…「気に触ってしまったんでしょうね」

私はこの番組ゲラゲラ笑って見てたんだが、何故こんなに坂上忍が叩かれなきゃいけないのか意味不明。
坂上忍は毒舌キャラ、しかも最近の有吉よりもよっぽどキレのある暴力的なまでのそれだし、対してノンスタ井上の嫌われもキャラだ。
あのシーンは坂上が「理不尽にキレる」という流れだったはずだ。
坂上も徐々に乗ってきて井上をコテンパンにし、井上は返す言葉もなく凹んでいたんだが、それはバラエティーならではだし、その構図が欲しかったわけで、久々にこういうの見れた!と個人的には嬉しかったんだが。
こういう、バラエティーでは当たり前のことをいちいちニュースにするド暇なメディアと、テレビに映る姿をそのまま人間性だと思い込んでしまう頭の悪いヤフコメの連中たちの構図を見ると、やはり今バラエティーは敵が多いな、と思う。
ノンスタ井上もテレビの中の事をいちいちツイートするなんて本当に芸人として終わってるとしか言いようがない。

ゆえにバラエティー番組は消極的になり、かつてのような攻めの姿勢'attitude'を失い、今に至るのだろう。
果たしてこの先の若い世代でかつてのようなお笑いスターが誕生するかは、、、まぁ確立的にはほぼゼロだろう。
プロデューサーやディレクターだって、昨今のバラエティー番組をいくら吸収したって決定的な何かは欠けたままだと思う。

かくなる上は、やはり「視聴者」が変わるしかないのだと思う。
もし「楽しくなければテレビじゃない」というような姿勢を多くの視聴者が取れれば、テレビは視聴者の手によってもっと面白くなるような気がする。
何故なら、少なくともテレビの業界人は人一倍テレビを楽しく観ているからである。



終わり

2013年12月 映画

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○市村泰一「としごろ」(1973年、松竹)

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和田アキ子、森昌子、石川さゆり、山口百恵という、今となってはあり得ないメンツ。
終始安いコントみたいなテンポで進んで行くんだけど、内容はこれ意外とヘビー。
70s全開のファッションは見ていて楽しい。
特にアッコのジーンズスタイルと堺正章の着ていたスーツは非常にカッコ良かった。
学生の進路だったり夫婦の在り方だったり、やっぱり色々な面で世の中は変わったな、と再認識する。
とは言え映画としては「なんだこれ」って感じのクオリティではある。


○セルジオ・レオーネ「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」(1984年、アメリカ/イタリア)

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2枚組、時間にして249分。
借りたことを後悔したが見ないで終わるのもあれなので仕方なく。

やっぱり似てるんだよね、「ニュー・シネマ・パラダイス」と。
数十年ぶりに故郷に帰ってくる話だから。
んでもってエンニオ・モリコーネの音楽でしょ?
まぁこっちの方が先なんだけど、やっぱり4時間は長い。。
時間軸が何度も入れ替わってるし。
やたらスローモーション入るし。
長くしたことによってストーリーに説得力を強めたような気がする。


○野村芳太郎「伊豆の踊子」(1954年、松竹)

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川端康成代表作の映画化第二弾。
やっぱり苦手だ。
退屈、退屈・・・
これ理解しようなんて私には30年早いようだね。
まぁ美空ひばりが若くて歌声も美しいっていう感動はあったけど。


○アダム・リフキン「デトロイト・ロック・シティ」(1999年、アメリカ)

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1999年の作品ってことはもうただ単にキッスのための映画だろうね。
なんでこれ借りちゃったのかよく分からないんだけど。
私がかなり嫌いなタイプの映画。
いわゆるクソ映画の部類に入ると思う。
最後のお待ちかねキッスの演奏シーンも、まるで迫力が無いド下手なカメラワーク。


○スタンリー・キューブリック「博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか」(1964年、アメリカ/イギリス)

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言わずと知れたキューブリックの名作。
この作品から始まる「2001年宇宙の旅」「時計じかけのオレンジ」の三本は「SF三部作」とも言われるが、おそらく一番センセーショナル、衝撃的な内容。
究極のブラックユーモアだね。
エンディングの「また会いましょう」も最高にアイロニックである。
細部にわたる変態的なまでの演出には、キューブリックのこの作品こそが「博士(=監督)の異常な愛情」なんだと思う。
ピーター・セラーズの一人三役もお見事。
93分というコンパクトな尺も丁度良い。


○フランシス・フォード・コッポラ「ゴッドファーザー」(1972年、アメリカ)

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これまた言わずと知れたコッポラの代表作。
てか映画史に残る名作か。
「ファミリー」という概念が強大な力を及ぼすギャングの世界。
北野武「BROTHER」はこの映画から大いに影響、てか刺激を受けたと思う。
トイレに拳銃隠す所なんてのは完全にオマージュだね。
「もしトイレに隠したのが回収できなかったらどうすんだよ」っていう突っ込みへのタケシ的回答が「BROTHER」での「保険うっとかなきゃなぁ」でテーブルの下に貼り付けておくシーンなんだと思う。
とにかく、やっぱり尺が長い・・・


○新藤兼人「生きたい」(1999年、日本ヘラルド)

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鬼才・新藤兼人作品。
三國連太郎、大竹しのぶ主演。
この2人の熱演には本当に感動。
姨捨山と老人ホームを照らし合わせ、民話の世界と現実世界を平行して描く。
躁鬱症の徳子の役は大竹しのぶしか出来ないだろうね。
本当に凄い。
躁の時と鬱の時で「眼」が変わるから。
三國連太郎も彼にしか出せない味を出していた。
役に共感したのか(勝手な推測だが)演技にかなり力が入っていたように思う。
終盤、徳子がハイになり老人ホームから安吉を連れ出すシーンは、若干甘さに流れていたが、それでもラストの幕引きはお見事。
こんな凄まじい作品の原作・脚本・監督をすべて担った新藤兼人は本当に日本映画の宝だろうね。
星5つだ。いや、4.5(笑)


○園子温「恋の罪」(2011年、日活)

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珍しく最近の映画(笑)
とは言っても園子温。
これずっと観たかったんだけど、正直期待ハズレ。
やっぱり彼は良くも悪くも常に第一作目を撮る気持ちなんだろうね。
「愛のむきだし」や「ヒミズ」などを観てきた私としては、今作は完全に"蛇足的"作品であり自己満足。
濡れ場を撮ることは自らの課題だったと言っていたが、その課題をクリアしたところで自己満足でしょう。
作品のメッセージ性というかテーマとしては、基本的には「愛のむきだし」や「紀子の食卓」と変わらない。
全体的にグロテスク、若干のホラー的要素もあったが、これは前作「冷たい熱帯魚」ですでにやっている。
つまり、本当にこの作品の存在自体が蛇足。
園子温のファンとしては彼がこれぐらい撮れるのは分かっているし、彼のメッセージというか「どうしようもない衝動」も大いに受け取ってきている(つもり)。
更に言うと、あのオチはちょっと芸が無いかな、と。


○深作欣二「おもちゃ」(1999年、東映)

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溝口健二監督『祇園の姉妹』のオマージュとして新藤兼人が執筆した小説を新藤自身が脚本化し、深作欣二が監督を務めた。
つまり、

溝口ー新藤ー深作

が繋がった作品。
深作はこの後「バトルロワイヤル」を撮り終えずに亡くなるので、この「おもちゃ」が事実上の遺作ということになる。
99年公開だが今年になってようやくDVD化されたので、これは絶対借りるべきだと思っていたが気づいてみれば年の瀬に鑑賞っていうね。
内容は偶然にも園子温「恋の罪」と若干ダブるんだけど、圧倒的に素晴らしかった。
最後の"水揚げ"シーンは要らなかったように思うが、それでもテンポ良いし、ヤマはしっかりある。
特に後半、時子が舞妓になることが決まって、家族の元ではなく材木屋の見習い山下の元へ行き、彼の頑張る姿を目にするシーンは涙ボロボロ・・・
他、里江が時子と舞妓準備金の工面のために体を売ったり、照蝶が吉川親子に復讐しに行くところなど、何度も言うが「女の意地」は非常に面白い。
あと音楽がとても良かった。(天野正道という方)
これは本当に観て良かったと思える作品。


○ロバート・アルトマン「三人の女」(1977年、アメリカ)

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「ロング・グッドバイ」で知られるロバート・アルトマン監督作品。
そしてミリー役のシェリー・デュヴァルはアルトマン作品常連だったが、後にあのキューブリックの「シャイニング」で有名に。
で、この作品はただただ分からない。
なぜこんな映画を作ったのか、何を伝えたかったのか、さっぱり分からないのである。
介護施設で働くミリーの元へ新人のピンキーが入ってくる。
ミリーはそのいけ好かない風体から、周りからほとんど無視され友人はほとんどいなかった。
またその寂しさの反動からどんどんカッコ付けていき、周囲からは白い目で見られる。
朴訥なピンキーは、ミリーのクールさ、ファッショナブルさに対して強い憧れを抱いたが、だんだんとそれがメッキだということに気付き始め、遂にホームパーティーの一件で落胆し自殺を図る。
相当なショックを受けたミリーはピンキーに尽くすようになるも、意識を取り戻したピンキーはミリーに対して嫌悪感を剥き出しにし、反抗的になってしまう。
「三人の女」のおそらく三人目であるウィリーは、ミリー行きつけのバーの店の人で、妊娠こそしているが夫のエドガーからはほとんど見放され、何とかミリーの手を借りて出産するも死産。
ピンキーは医者を呼ぶように言われていたが、立ち尽くすのみ。
それを知ったミリーは激昂しピンキーを叩く。
その後エドガーは銃の暴発で事故死。
ミリーとピンキー、ウィリーは三人でエドガー夫妻のバーを経営するようになる。
ざっとストーリーはこんな感じだが、本当にこれ、救い用がない話。
この三人の女は全員どこか決定的におかしい部分があり、何よりミリーが一番救えない。
カッコつけてばっかりで周りからドン引きされ、その反動でまたさらにカッコ付けまくる、というのは負のスパイラルだろう。
ウィリーも夫の奔放さからか絵を描くことによって完全に現実から逃避している。
ピンキーはどこか退廃的、自己嫌悪の塊のように思えるし、またミシンで服を作るという行為もウィリーの絵描きと通ずるものがあると思う。
現実世界で満たされない三人の噛み合わない歯車。
とは言っても、こんな解釈なんて後付けみたいなもんで、観ててもぶっちゃけ楽しめなかった。
ロバート・アルトマン、やはり奇才。



終わり


Vernon Burch 「Leaving You Is Killing Me」

What's it all about?

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いきなりだが私が愛してやまないバカラックの名曲から。



作詞はハル・デイヴィッド。
対訳のテロップがあるので分かりやすい。
曲の冒頭、

>What's it all about, Alfie?

この部分の訳は「生きるってどういうこと?」となっている。
かなり深い訳で、名訳だ、とずっと思っていたんだが、実は決まった言い方なのかもしれない。
というのも、今たまたまウディ・アレンの「世界中がアイ・ラヴ・ユー」を観てたら、祖父が死んだ時のシーンに

>What's it all about?

って台詞が出てくるんだけど、この訳が「すべて空しいわ」となっていた。
これだけ見たら凄い意訳だと感じるかもしれないが、前述の「Alfie」と比べてみると実は意味的には同じようなベクトルだと思う。
要するに、



>生きてるって何だろう♪


もっと簡単に言えば、


「なんだかなぁ」




>「なんだかなぁ」って思うことがいっぱいある〜

ってわけで私だったら"What's it all about?"は「なんだかなぁ」と訳すね。
いずれにしても、"What's it all about?"というのは、生きること、人生に関しての、切なさ・哀しみを帯びた決まり文句みたいなものなのだろう。

文法的なルールを超えて意味を持つ歌詞や台詞は、ただ単に映画や音楽を鑑賞するよりも少しハードルの高い楽しさである。

The Definitive Burt Bacharach Songbookクリエーター情報なしUmtv

世界中がアイ・ラヴ・ユー ―デジタル・レストア・バージョン― [DVD]クリエーター情報なし角川書店


終わり
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