いきなりだがここで問題。
人を救えるのは次の3つのうちどれでしょう?
1. 愛
2. 夢
3. 妥協
正解は3。
用例)
「俺将来お金持ちになりたいと思ってたけど、なんかもう別にいいや!」
→救われる
「私アイドルになるのが夢だったけど、なんかもう別にいいや!」
→救われる
**********************
要するに何が言いたいかと言うと、コンプレックスから脱却する唯一の方法は「妥協」であるということだ。
もっとも健全な形であらゆるコンプレックスから脱却するためには、
ちょうどいい所
真ん中辺り
折衷案
最大公約数
など、こういった落とし所を見つけることだとつくづく思う。
努力と怠惰の折衷案
早い話が「妥協」だ。
この「妥協」という言葉を悪い意味で捉える限りは苦しむままである。
為末大「努力すれば成功する、は間違っている」 「正論」なのに「炎上」してしまうのはなぜ
>「成功者が語る事は、結果を出した事に理由付けしているというのが半分ぐらいだと思う。アスリートもまずその体に生まれるかどうかが99%。そして選ばれた人たちが努力を語る。やればできると成功者は言うけれど、できる体に生まれる事が大前提」
>「がんばれ、より、よく頑張ったねもう十分だよ、の方が救われるステージがあると思うのです」
まさにそういうことである。
何が何でも努力を積み重ねて目標を達成する!という姿勢はある意味でコンプレックスの裏返しである。
なぜならば、自分はそれを達成しなければいけないというのは誰が強いるわけでもなく、勝手に自分自身が思い込んでいる強迫観念であるから。
スポーツ選手の前にあなたは一人の人間である。
学生の前にあなたは一人の人間である。
特に女子はこの「妥協」ってやつがなかなか出来ない性質である。
おひとり様の幸福論
2013/05/01 20:59社会
>そこで、女性たちの幸福を真剣に考えるまさに正真正銘のフェミニストと自負している私はこう言おう。
>女子アスリートなんか目指しちゃダメ!
>女子が高学歴を手に入れようとしちゃダメ!
>女子がバリバリ働こうなんてダメ!
これらの諸悪の根源は何かと言ったらやはり「男女差別コンプレックス」だろうね。
フェミニストは女が低く見られてたりすると異様に反発するわけ。
それこそ揚げ足取りみたいに色んな所から「これは男女差別だ!」ってネタをバンバン見つけてくる。
そっからだよ、女性の価値向上→男女同権→キャリアウーマン、女子アスリート、女子会、、、
それで自由になったのかい?
そりゃ行き過ぎた女性差別は問題だが、男性と同じ土俵に立ったところで誰も幸せにはなれない。
だったら「ちょうどいい所」で手を打つしかないだろう?
すべては幸せになるためである。
幸せの定義は人それぞれだが少なくとも男女平等になって幸せを感じる人などいまい。
男女は違う生き物、動物であり、それぞれ子孫の繁栄のために共生していかなければならない。
**********************
そう言えば、私は一浪して大学に入ったんだけど、その時に「大いなる妥協」が出来たことは本当に、私の18歳以降最大の成功だったとすら思っている。
周りには結構浪人した人いたけど、高校が進学校だったからかみんな自分のレベル以上の大学目指してたから。
どうせ浪人するなら良い大学行かなきゃ、みたいな。
で、大体そういう奴はその後何らかの形で苦しんでるね。
普通に二度目の受験も失敗して、そんなに頑張らなくても受かるような所に行ったり、もっと言えば現役で蹴った所より偏差値低い大学行くハメになったり。
うまくいって志望校合格しても大学入ったら色々とギャップを感じて留年しちゃったり。
あとは何らかの理由で心病んじゃったりね。
彼ら彼女らに足りなかったのは「妥協」することだったんだよ。
自分を救えなかったってわけだ。
どっかで気付かないと一生気付かない。
だってそもそも浪人する時点で多くの場合は妥協知らずなんだから(笑)
私は本当に気付けてよかった。
自分を救ったのである!
浪人してる間は、さすがに現状維持というか最低限の勉強はしてたけど、予備校なんて通ってなかったし、一日の平均勉強時間は5時間ぐらいか?
下手したらそれ以下だろう。
なんせグラフの曲線みたいにグッと学力上げようなんて思わなかった。
あくまで、ゆるやかな角度の直線でいいから、今よりマシならオールOK!という心持ちだった。
たまに友人と遊んだりもしてた。
ちょいちょいバイトもした。
あとは車の免許も取った。
それで一応偏差値60以上の学部に入ったわけである。
これこそ「努力と怠惰の折衷案」ということだ。
なにも自己満足するわけではなくて、人によっては私のこの結果に「勿体無い」と思う人もいるかもしれない。
「それでそんなに出来るんだったらもっと頑張って早慶目指せば良かったのに!」って。
ノーノーノー。
それこそまさに学歴コンプレックスだよ。
行ってどうなる?
早慶行ったら人生はバラ色か?
早慶行ったら就職安心か?
早慶行ったらモテるか?
「浪人するなら○○目指さなきゃ」ってのは強迫観念に囚われてる。
大体、一年間予備校に通ったら授業料いくらだ?
あんなしみったれた負け組の集まりの中で一年間も過ごして、一時的な受験のためだけの勉強をして、色んな欲望を自制して、果たしてそれに見合ったものが得られるとは到底思えない。
そりゃ東大・京大・一橋とかになったら話は別だよ。
その後の人生のルートを決めかねないからね。
でも今の御時世、早慶行ったってダメな奴はダメだ。
就活地獄で苦しむハメになってる人も多い。
基本的に学歴なんてのはよっぽどじゃない限り、現役合格で行って初めて儲けモンだから。
浪人した瞬間から経済的精神的時間的に色んなコストが生じてどんどん価値無くなるから。
結構、幾つになっても学歴コンプレックスから抜け出せない人って多いと思う。
*****************
受験だけじゃない、就活ってか年収も。
いっぱい稼ぎたいってのも分かるけど果たしてそれで満たされることはあるのか?というね。
年収800万あっても貧乏クジ引いたら貧乏ですから。
年収800万。生活が苦しいです。
みいな
2012年4月3日 18:13
成り上がり根性は足元すくわれることがあるので応援出来ないが、安定を求めるのは良いことだと思う。
安定ってつまり「妥協の産物」だから。
年収400万?
万々歳でしょ!!
婚活もその実態は酷いけど、「一生のパートナーだから妥協しない!」っていうスタンスの人ほど結局一生パートナーが見つからないんじゃないか?
既婚者も、お互いに色々と妥協してたらこれほど円満な夫婦は無いと思う。
妥協ってつまり許すってことだから。
許しってなんだかキリスト的でしょ?
まぁキリストは罪の「赦し」なんだけど・・・
このブログでは何度か「自分を救うのは自分しかいない」と書いているが、正確には2通りである。
・自分で自分を救う=妥協、覚悟、実践
・神に従い救ってもらう=宗教に入信
本当にこのどっちかだから。
だから私は、周りに宗教に入った(らしいも含め)人がチラホラいるが、それはそれで正しい選択だと思う。
そうでもしなかったら自分じゃ自分を救えずに死んでるだろう。
「よかったな、お前はお前自身を救えなかった。でもこれからは神様が見張っていてくださる。」
こんな風に感じるわけだ。
だから「神」の存在というのは有史以来最高の発明なのだよ。
てか実際、誰しもが少なからず神に従うことで救われる経験はしているはずだ。
例えば音楽とか芸術、尊敬する人の生き方などに感銘を受けて生きる希望を得たなんてのもある意味で「信仰」だからだ。
まぁ一時的なことが多いんだが。
******************
作家の村上龍はサザン桑田佳祐をベタ褒めしているが、その論拠は「人を救うから」としている。
![]()
1984年「無敵のサザンオールスターズ」より
>Sさんに生きていてサザンを聞いて貰いたかった。もし「東京シャッフル」をSさんが聞いたなら、死ななくてもすんだかも知れないと思う。桑田佳祐の、ビートを一途に信じる力、ビートに従う日本語を捜す才能、そんな人間が日本にも出てきたと知ったら、Sさんは希望をもてたかも知れない。
>歌は革命を起こせない。しかし、歌は、自殺を止める力を持っている。
なぜ桑田佳祐の音楽が人を救うのか?
これは表面上の音だけを聴いていては分からないと思う。
つまり桑田佳祐というのは桑田自身含め日本人を救った=妥協したミュージシャンだからである。
彼の存在が希望だったのである。
70年代に日本語ロック論争が巻き起こった。
西洋からの借り物であるロックに英語を乗せるべきか日本語を乗せるべきか。
これに終止符を打ったのが桑田佳祐の発明した「英語と日本語のミックス」である。
つまり「ちょうどいい所」「折衷案」だ。
「真ん中を取っていいんだ」「感性に正直でいいんだ」「何かに抗わなくていいんだ」
この発想が多くの人を救うのだと思う。
*******************
明治時代まで遡ると、開国と江戸幕府滅亡により西洋文化がドッと入って来てからは、日本人は必死で西洋文化の真似をしていた。
ビゴーの風刺画は非常に痛いところを突いている。
![]()
鹿鳴館
>西欧諸国の外交官もうわべでは連夜の舞踏会を楽しみながら、その書面や日記などにはこうした日本人を「滑稽」などと記して嘲笑していた。
また戦後のアメリカからの支配においても西洋コンプレックスが存在した。
アメリカナイゼーション
>テレビではアメリカ製の映画やテレビドラマが放送され、国民をアメリカ文化に馴染ませる政策がとられた(特に、ホームドラマにおける「頼りになって何でも話せる格好いい父親、優しい美人の母親」の存在は、従来の日本型家庭である「厳父慈母」のイメージとは正反対であった)
>21世紀に入って、ジョージ・W・ブッシュは対日占領(=親米保守・対米従属化)を「最も成功した占領」と呼んだ。
ただ今度の日本はアメリカから入ってくる文化をうまく吸収したという面もある。
特に自動車産業なんかは本国アメリカをぶっちぎってしまったし。
******************
我々は日本人である以上、ロックは西洋からの借り物でしかない。
ビートルズはロックではなくポップである。
彼らのポップの根幹は「気持ち良いこと」つまり快楽だ。
自分達が面白いと思うもの、やっていて聴いていて楽しいものを正直に。
これこそがポップである。
料理で言うと、カレーを作る時、本場であるインド風に近づけようとすればするほどポップとは遠ざかっていく。
ラーメンを作るとき、ルーツである中華に傾倒すればするほどポップからは遠ざかっていく。
ホンモノらしさより、食べて美味しいものを信じる力。
ゆえに子供から大人まで純粋に美味しいと思える料理こそポップだ。
それこそカレーとかラーメンね。
本気、本格、本場、というのはストイックで見上げたもんだが実は誰かを切り捨てることなのである。
洋楽に詳しくなればなるほどJ-POPの実態に落胆し、日本の音楽はショボいだの、そのギャップに苦しむことだろう。
それではダメだ。せっかく音楽に詳しくなったのに救われない。
洋楽に詳しくなったら、いかにして邦楽に戻って来れるかが鍵なのである。ソウルやブルースなど様々なジャンルに触れたならば、ポップミュージシャンがポップをやっていること自体をまず評価しなければならない。
大衆を相手にしていることは崇高なのである。
映画も小説も同じだ。
桑田佳祐は洋楽の真似事をする時は必ずと言っていいほど自虐的に「なんちゃって○○」のような「ギャグ」にまで落とし込んでいる。
この姿勢こそがポップであり心地良い妥協、つまり救いなのだ。
そんなに肩肘張っても楽しくないよ、と。
その証拠に、「いとしのエリー」が大ヒットした後、サザンはスタジオ籠城しロックミュージックを追求するも、その時にリリースした楽曲はとことん売れず、低迷期となる。
そこから再びシーンに戻ってきたのは「チャコの海岸物語」つまり、テレビで、真面目に、「ギャグ」をやったからである。
のちに全曲英語で作ったKUWATA BANDの「NIPPON NO ROCK BAND」も失敗だったと反省している。
これは日本語ロック論争で決着がついていた課題を再び考証しようとしたからである。
サザンを休止し身軽になった桑田は洋楽コンプレックスという古傷にまんまと陥ってしまったのだ。
このように、過去の失敗から桑田は「結局ポップが強い」ということを身を持って知っているのである。
「昔みたいにやってくれ」「あの頃が最高だった」なんて言うファンは桑田を苦しめるだけのサディストである。
桑田は自分をも救ったのだから。
********************
仕事術2013年 11月 12日 16:01 JST
アメリカンドリームは消えたのか?―貧乏世帯からの立身出世は困難
>無一文から大金持ちになった米国人は全体のわずか4%しかいない
>最下位層で育った人の中で大卒の資格を持っているのはわずか7%だ。
アメリカンドリームを叶える必要は無い。
大金持ちになる必要なんてどこにもない。
大卒は幸福を保証しない。
貧困層からの脱却を夢見る、もしくはそれを美徳とする人は、格差社会の共犯者である。
なぜなら貧困層からの脱却は貧困層が存在し続ける前提だからである。
ここでも「妥協」という概念さえあれば救われる人は多いと思う。
アメリカンドリームというのは過去の神話であり今となっては呪縛だ。
アメリカンドリームが消えるも何も、もともと誰もにチャンスが与えられているわけではない。
**********************
「妥協」とはコンプレックスつまり自らにかけた呪縛を解く起死回生の魔法である。
勿論、何でもかんでも最初から妥協しろとは言わない。
ただ、もし何かに行き詰まっているのなら、妥協することは何ら「負け」ではない。
それは自分を救うことだからである。
自分を救えない人間は一生苦しむ。
ジョン・レノン曰く、
>No one you can save that can't be saved.
(「All You Need Is Love」より)
救えない人なんて救えやしない。
なぜなら救ってやれるのは自分だけだから。
他人に妥協を強いることは出来ないし他人を神の道に引きずり込むことも出来ない。
だから言い換えるならばこうだ。
You can be saved only by yourself.
コンプレックスの無い人間などいない。
皆、それぞれの呪縛を抱えながら生きている。
その呪縛を解けるのは妥協=ポップの精神である。
終わり
人を救えるのは次の3つのうちどれでしょう?
1. 愛
2. 夢
3. 妥協
正解は3。
用例)
「俺将来お金持ちになりたいと思ってたけど、なんかもう別にいいや!」
→救われる
「私アイドルになるのが夢だったけど、なんかもう別にいいや!」
→救われる
**********************
要するに何が言いたいかと言うと、コンプレックスから脱却する唯一の方法は「妥協」であるということだ。
もっとも健全な形であらゆるコンプレックスから脱却するためには、
ちょうどいい所
真ん中辺り
折衷案
最大公約数
など、こういった落とし所を見つけることだとつくづく思う。
努力と怠惰の折衷案
早い話が「妥協」だ。
この「妥協」という言葉を悪い意味で捉える限りは苦しむままである。
為末大「努力すれば成功する、は間違っている」 「正論」なのに「炎上」してしまうのはなぜ
>「成功者が語る事は、結果を出した事に理由付けしているというのが半分ぐらいだと思う。アスリートもまずその体に生まれるかどうかが99%。そして選ばれた人たちが努力を語る。やればできると成功者は言うけれど、できる体に生まれる事が大前提」
>「がんばれ、より、よく頑張ったねもう十分だよ、の方が救われるステージがあると思うのです」
まさにそういうことである。
何が何でも努力を積み重ねて目標を達成する!という姿勢はある意味でコンプレックスの裏返しである。
なぜならば、自分はそれを達成しなければいけないというのは誰が強いるわけでもなく、勝手に自分自身が思い込んでいる強迫観念であるから。
スポーツ選手の前にあなたは一人の人間である。
学生の前にあなたは一人の人間である。
特に女子はこの「妥協」ってやつがなかなか出来ない性質である。
おひとり様の幸福論
2013/05/01 20:59社会
>そこで、女性たちの幸福を真剣に考えるまさに正真正銘のフェミニストと自負している私はこう言おう。
>女子アスリートなんか目指しちゃダメ!
>女子が高学歴を手に入れようとしちゃダメ!
>女子がバリバリ働こうなんてダメ!
これらの諸悪の根源は何かと言ったらやはり「男女差別コンプレックス」だろうね。
フェミニストは女が低く見られてたりすると異様に反発するわけ。
それこそ揚げ足取りみたいに色んな所から「これは男女差別だ!」ってネタをバンバン見つけてくる。
そっからだよ、女性の価値向上→男女同権→キャリアウーマン、女子アスリート、女子会、、、
それで自由になったのかい?
そりゃ行き過ぎた女性差別は問題だが、男性と同じ土俵に立ったところで誰も幸せにはなれない。
だったら「ちょうどいい所」で手を打つしかないだろう?
すべては幸せになるためである。
幸せの定義は人それぞれだが少なくとも男女平等になって幸せを感じる人などいまい。
男女は違う生き物、動物であり、それぞれ子孫の繁栄のために共生していかなければならない。
**********************
そう言えば、私は一浪して大学に入ったんだけど、その時に「大いなる妥協」が出来たことは本当に、私の18歳以降最大の成功だったとすら思っている。
周りには結構浪人した人いたけど、高校が進学校だったからかみんな自分のレベル以上の大学目指してたから。
どうせ浪人するなら良い大学行かなきゃ、みたいな。
で、大体そういう奴はその後何らかの形で苦しんでるね。
普通に二度目の受験も失敗して、そんなに頑張らなくても受かるような所に行ったり、もっと言えば現役で蹴った所より偏差値低い大学行くハメになったり。
うまくいって志望校合格しても大学入ったら色々とギャップを感じて留年しちゃったり。
あとは何らかの理由で心病んじゃったりね。
彼ら彼女らに足りなかったのは「妥協」することだったんだよ。
自分を救えなかったってわけだ。
どっかで気付かないと一生気付かない。
だってそもそも浪人する時点で多くの場合は妥協知らずなんだから(笑)
私は本当に気付けてよかった。
自分を救ったのである!
浪人してる間は、さすがに現状維持というか最低限の勉強はしてたけど、予備校なんて通ってなかったし、一日の平均勉強時間は5時間ぐらいか?
下手したらそれ以下だろう。
なんせグラフの曲線みたいにグッと学力上げようなんて思わなかった。
あくまで、ゆるやかな角度の直線でいいから、今よりマシならオールOK!という心持ちだった。
たまに友人と遊んだりもしてた。
ちょいちょいバイトもした。
あとは車の免許も取った。
それで一応偏差値60以上の学部に入ったわけである。
これこそ「努力と怠惰の折衷案」ということだ。
なにも自己満足するわけではなくて、人によっては私のこの結果に「勿体無い」と思う人もいるかもしれない。
「それでそんなに出来るんだったらもっと頑張って早慶目指せば良かったのに!」って。
ノーノーノー。
それこそまさに学歴コンプレックスだよ。
行ってどうなる?
早慶行ったら人生はバラ色か?
早慶行ったら就職安心か?
早慶行ったらモテるか?
「浪人するなら○○目指さなきゃ」ってのは強迫観念に囚われてる。
大体、一年間予備校に通ったら授業料いくらだ?
あんなしみったれた負け組の集まりの中で一年間も過ごして、一時的な受験のためだけの勉強をして、色んな欲望を自制して、果たしてそれに見合ったものが得られるとは到底思えない。
そりゃ東大・京大・一橋とかになったら話は別だよ。
その後の人生のルートを決めかねないからね。
でも今の御時世、早慶行ったってダメな奴はダメだ。
就活地獄で苦しむハメになってる人も多い。
基本的に学歴なんてのはよっぽどじゃない限り、現役合格で行って初めて儲けモンだから。
浪人した瞬間から経済的精神的時間的に色んなコストが生じてどんどん価値無くなるから。
結構、幾つになっても学歴コンプレックスから抜け出せない人って多いと思う。
*****************
受験だけじゃない、就活ってか年収も。
いっぱい稼ぎたいってのも分かるけど果たしてそれで満たされることはあるのか?というね。
年収800万あっても貧乏クジ引いたら貧乏ですから。
年収800万。生活が苦しいです。
みいな
2012年4月3日 18:13
成り上がり根性は足元すくわれることがあるので応援出来ないが、安定を求めるのは良いことだと思う。
安定ってつまり「妥協の産物」だから。
年収400万?
万々歳でしょ!!
婚活もその実態は酷いけど、「一生のパートナーだから妥協しない!」っていうスタンスの人ほど結局一生パートナーが見つからないんじゃないか?
既婚者も、お互いに色々と妥協してたらこれほど円満な夫婦は無いと思う。
妥協ってつまり許すってことだから。
許しってなんだかキリスト的でしょ?
まぁキリストは罪の「赦し」なんだけど・・・
このブログでは何度か「自分を救うのは自分しかいない」と書いているが、正確には2通りである。
・自分で自分を救う=妥協、覚悟、実践
・神に従い救ってもらう=宗教に入信
本当にこのどっちかだから。
だから私は、周りに宗教に入った(らしいも含め)人がチラホラいるが、それはそれで正しい選択だと思う。
そうでもしなかったら自分じゃ自分を救えずに死んでるだろう。
「よかったな、お前はお前自身を救えなかった。でもこれからは神様が見張っていてくださる。」
こんな風に感じるわけだ。
だから「神」の存在というのは有史以来最高の発明なのだよ。
てか実際、誰しもが少なからず神に従うことで救われる経験はしているはずだ。
例えば音楽とか芸術、尊敬する人の生き方などに感銘を受けて生きる希望を得たなんてのもある意味で「信仰」だからだ。
まぁ一時的なことが多いんだが。
******************
作家の村上龍はサザン桑田佳祐をベタ褒めしているが、その論拠は「人を救うから」としている。

1984年「無敵のサザンオールスターズ」より
>Sさんに生きていてサザンを聞いて貰いたかった。もし「東京シャッフル」をSさんが聞いたなら、死ななくてもすんだかも知れないと思う。桑田佳祐の、ビートを一途に信じる力、ビートに従う日本語を捜す才能、そんな人間が日本にも出てきたと知ったら、Sさんは希望をもてたかも知れない。
>歌は革命を起こせない。しかし、歌は、自殺を止める力を持っている。
なぜ桑田佳祐の音楽が人を救うのか?
これは表面上の音だけを聴いていては分からないと思う。
つまり桑田佳祐というのは桑田自身含め日本人を救った=妥協したミュージシャンだからである。
彼の存在が希望だったのである。
70年代に日本語ロック論争が巻き起こった。
西洋からの借り物であるロックに英語を乗せるべきか日本語を乗せるべきか。
これに終止符を打ったのが桑田佳祐の発明した「英語と日本語のミックス」である。
つまり「ちょうどいい所」「折衷案」だ。
「真ん中を取っていいんだ」「感性に正直でいいんだ」「何かに抗わなくていいんだ」
この発想が多くの人を救うのだと思う。
*******************
明治時代まで遡ると、開国と江戸幕府滅亡により西洋文化がドッと入って来てからは、日本人は必死で西洋文化の真似をしていた。
ビゴーの風刺画は非常に痛いところを突いている。

鹿鳴館
>西欧諸国の外交官もうわべでは連夜の舞踏会を楽しみながら、その書面や日記などにはこうした日本人を「滑稽」などと記して嘲笑していた。
また戦後のアメリカからの支配においても西洋コンプレックスが存在した。
アメリカナイゼーション
>テレビではアメリカ製の映画やテレビドラマが放送され、国民をアメリカ文化に馴染ませる政策がとられた(特に、ホームドラマにおける「頼りになって何でも話せる格好いい父親、優しい美人の母親」の存在は、従来の日本型家庭である「厳父慈母」のイメージとは正反対であった)
>21世紀に入って、ジョージ・W・ブッシュは対日占領(=親米保守・対米従属化)を「最も成功した占領」と呼んだ。
ただ今度の日本はアメリカから入ってくる文化をうまく吸収したという面もある。
特に自動車産業なんかは本国アメリカをぶっちぎってしまったし。
******************
我々は日本人である以上、ロックは西洋からの借り物でしかない。
ビートルズはロックではなくポップである。
彼らのポップの根幹は「気持ち良いこと」つまり快楽だ。
自分達が面白いと思うもの、やっていて聴いていて楽しいものを正直に。
これこそがポップである。
料理で言うと、カレーを作る時、本場であるインド風に近づけようとすればするほどポップとは遠ざかっていく。
ラーメンを作るとき、ルーツである中華に傾倒すればするほどポップからは遠ざかっていく。
ホンモノらしさより、食べて美味しいものを信じる力。
ゆえに子供から大人まで純粋に美味しいと思える料理こそポップだ。
それこそカレーとかラーメンね。
本気、本格、本場、というのはストイックで見上げたもんだが実は誰かを切り捨てることなのである。
洋楽に詳しくなればなるほどJ-POPの実態に落胆し、日本の音楽はショボいだの、そのギャップに苦しむことだろう。
それではダメだ。せっかく音楽に詳しくなったのに救われない。
洋楽に詳しくなったら、いかにして邦楽に戻って来れるかが鍵なのである。ソウルやブルースなど様々なジャンルに触れたならば、ポップミュージシャンがポップをやっていること自体をまず評価しなければならない。
大衆を相手にしていることは崇高なのである。
映画も小説も同じだ。
桑田佳祐は洋楽の真似事をする時は必ずと言っていいほど自虐的に「なんちゃって○○」のような「ギャグ」にまで落とし込んでいる。
この姿勢こそがポップであり心地良い妥協、つまり救いなのだ。
そんなに肩肘張っても楽しくないよ、と。
その証拠に、「いとしのエリー」が大ヒットした後、サザンはスタジオ籠城しロックミュージックを追求するも、その時にリリースした楽曲はとことん売れず、低迷期となる。
そこから再びシーンに戻ってきたのは「チャコの海岸物語」つまり、テレビで、真面目に、「ギャグ」をやったからである。
のちに全曲英語で作ったKUWATA BANDの「NIPPON NO ROCK BAND」も失敗だったと反省している。
これは日本語ロック論争で決着がついていた課題を再び考証しようとしたからである。
サザンを休止し身軽になった桑田は洋楽コンプレックスという古傷にまんまと陥ってしまったのだ。
このように、過去の失敗から桑田は「結局ポップが強い」ということを身を持って知っているのである。
「昔みたいにやってくれ」「あの頃が最高だった」なんて言うファンは桑田を苦しめるだけのサディストである。
桑田は自分をも救ったのだから。
********************
仕事術2013年 11月 12日 16:01 JST
アメリカンドリームは消えたのか?―貧乏世帯からの立身出世は困難
>無一文から大金持ちになった米国人は全体のわずか4%しかいない
>最下位層で育った人の中で大卒の資格を持っているのはわずか7%だ。
アメリカンドリームを叶える必要は無い。
大金持ちになる必要なんてどこにもない。
大卒は幸福を保証しない。
貧困層からの脱却を夢見る、もしくはそれを美徳とする人は、格差社会の共犯者である。
なぜなら貧困層からの脱却は貧困層が存在し続ける前提だからである。
ここでも「妥協」という概念さえあれば救われる人は多いと思う。
アメリカンドリームというのは過去の神話であり今となっては呪縛だ。
アメリカンドリームが消えるも何も、もともと誰もにチャンスが与えられているわけではない。
**********************
「妥協」とはコンプレックスつまり自らにかけた呪縛を解く起死回生の魔法である。
勿論、何でもかんでも最初から妥協しろとは言わない。
ただ、もし何かに行き詰まっているのなら、妥協することは何ら「負け」ではない。
それは自分を救うことだからである。
自分を救えない人間は一生苦しむ。
ジョン・レノン曰く、
>No one you can save that can't be saved.
(「All You Need Is Love」より)
救えない人なんて救えやしない。
なぜなら救ってやれるのは自分だけだから。
他人に妥協を強いることは出来ないし他人を神の道に引きずり込むことも出来ない。
だから言い換えるならばこうだ。
You can be saved only by yourself.
コンプレックスの無い人間などいない。
皆、それぞれの呪縛を抱えながら生きている。
その呪縛を解けるのは妥協=ポップの精神である。
終わり